2013.12.13 書評

ラスボスを捕えよ

文: 島内 景二 (文芸評論家)

『白樫の樹の下で』 (青山文平 著)

 梶井基次郎や坂口安吾によると、桜の樹の下には妖しい時空が広がっているらしい。青山文平は、白樫の樹の下には、未来の展望が開けない青年たちの、最後の夢の砦があったと言う。『白樫の樹の下で』は、切なくて苦しい青春小説の金字塔である。

 いつの時代でも青年たちは、学校や道場で時空を共有しながら、異なる個性と野望を切磋琢磨し合う。青春群像のシンボルとも言える白樫の樹は、作者の青山文平と読者の双方の心の中にも聳えていて、澄み渡った魂の空を背景に、白い葉裏を風でそよがせている。

 白樫の樹の下には、伝説の剣豪にして漂泊の武芸者・佐和山正則の道場があった。そこで、三人の若者が友情を培った。時は、江戸時代中期の一七八八年。松平定信が寛政の改革に着手した翌年である。浅間山の噴火や田沼意次(たぬまおきつぐ)の失脚などで、世情は騒然としており、重苦しい閉塞感が漂っていた。

 一六一五年の大坂夏の陣によって、平和な時代が到来してから、百七十年余りが経過した。何と長い平和であったことか。第二次世界大戦後の平和ですら、七十年ほどだ。

 平和は、すばらしい。そして、ありがたい。だが平和の到来で、軍事集団であった武士は、レゾン・デートルを失った。命がけで戦うべき相手など、もはや世界の果てまで捜し求めても見つからない。

 いや、天下泰平の世にも、戦うべき強敵はいた。貧困である。平和ゆえに、大量の武士が失業して浪人となった。浪人にならずに済んだ武士も、俸禄が据え置かれているために、経済的な貧しさに苦しめられた。公儀は支出を削減するので、役に就(つ)けない非役の「小普請組(こぶしんぐみ)」が激増する。たかだか三十俵の収入で、家族全員が生活せねばならない のだ。

 絶望的なまでの経済的な貧困は、心の貧困、さらには狂気を生み出す。武器を持って敵を倒すという武士の存在価値も、士農工商の頂点に立って社会正義を実現するという武士の矜恃(きょうじ)も、とうに消え去った。

 だが、白樫の樹の下には、武士たらんとする人間の最後の砦があった。師の佐和山正則は、六十七歳の高齢にもかかわらず、武者修行の旅を続けている。この道場で、二代続けての小普請組である三人の若者たちも、自分たちが斬り捨てるべき真実の敵を見つけようと、剣の鍛錬を続けた。

 竹刀(しない)による稽古が主流となる中で、彼らはいつの日にか真剣を振るうために、木刀による形稽古(かたげいこ)に励む。ここだけは、宗教界の結界のように、世間の俗塵が忍び寄らない若者たちの聖域だった。

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白樫の樹の下で
青山文平・著

定価:560円+税 発売日:2013年12月04日

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