小学生の2年間、夏のあいだだけ一緒に過ごした犬のことを私は長く忘れていた。
こどもの頃、毎年、夏休みは北海道の山奥に一人で暮らす祖父の家で過ごしていた。11歳の夏のことだった。私を出迎えた祖父は「やあ。よく来たね。僕の若い友人を紹介しよう」といたずらっぽい笑いを浮かべて言った。祖父が「スロウ、スロウ!」と土間の奥に呼びかけると、小さな生き物が不器用に走ってくる。子犬だった。私が近づこうとすると、後ずさりする。「スロウ」と呼ぶと、そむけていた顔を私の方に向けて、とまどったような表情を浮かべる。
祖父が仕事に出かけ、私とスロウが部屋でふたりきりになった。2メートルほどの距離を保って、互いに相手を意識しながらモジモジしている。私はそれまで動物を飼ったことがなく、どうコミュニケーションをとればいいのかわからなかったのだ。その状況に飽きて外に出ようとしたら、いつの間にかスロウが後ろにいた。玄関をあけてテラスに出ると、まだついてくる。私が立ち止まるとスロウも止まる。私は面白くなって、林を抜け、川に向かった。スロウは1メートルくらいの距離を保ってついてくる。そのとき私は、スロウがシッポをぶんぶん振っていることに気づいた。私と一緒にいるのが嬉しい? 私の胸にドッと湧き上がる、はじめての感情。思わずしゃがんで、「スロウ」と呼んだ。スロウはタッと駆けて来て、勢いあまって私の脛にゴツッと頭をぶつけた。頭をなでると、黒いクリクリとした瞳で私を見上げるのだった。
私はそれから毎日、どこへ行くのもスロウと一緒だった。草に埋もれて昼寝し、川で水遊びをし、9キロ離れた商店まで買い物にも行った。スロウとの日々に、自分がまったくさびしさを忘れているのに気づいた。一人っ子の私はいつもほのかな孤独を感じていたのだと、はじめて気づきもした。
1年後、再会したスロウは別人のように大きくなっていた。去年は私の年の離れた妹のようだったスロウが、いつのまにか私の姉になっている。来年は母になり、やがておばあちゃんに……? 犬は人の7倍の速さで年を取るということを実感した。
次の夏は祖父が重い病気にかかり入院したので、祖父の家には行かなかった。それ以前に、私は東京の暮らしの方が楽しく、田舎で過ごしたくなくなってもいたのだが。
祖父は退院できないまま、2年後に病院で亡くなった。その葬式で、スロウが養鶏場に引き取られ、散歩のときはいつも祖父のいなくなった家をじっと見ていたとの噂を聞いた。スロウがどうしてるのか気にかかったけれど、東京に戻ると、いつのまにか私はスロウのことを忘れていた。