忙しいときは毎日の新聞を読むのもままならない。あいにく近年、どんどんページ数がふえて、斜め読みだってできるものではない。新聞好きの読者でも何とはなしの負い目のようなものを感じる。
年をとると、社会面の記事がむしろわずらわしくなる。それかといって、第一面の大問題もうっとうしい。だいたい長い記事はありがたくない。はじめをちょっとかじって投げ出す。短い、小さな記事に目をひかれ、囲み記事に吸いよせられる。ひそかに死亡記事を好む? 向きもあるらしいが、このごろの新聞は手を抜いているのだろうか、死者なしの日がある。ときどきの追悼録がいい。
社説を読むのはごく限られた人たちではないかと思われる。天下国家を論ずるものが多く、全般に文章が硬くて読むのに努力を要する。
そこへ行くと、一面下のコラムはおもしろく、多くの読者に親しまれている。「天声人語」「編集手帳」「余録」「春秋」など、各社がえりすぐりの記者に書かせていて目ざましい。現代散文を代表すると言ってよいだろう。
いまは語り草になったが、かつて、「天声人語」を毎日プリントして生徒に読ませることで評判になった国語の先生があったくらい。文章の手本になる。
それだけでなく、連載小説が昔のように読者をもたなくなった現在、読者をつなぎとめるのにもっとも大きなはたらきをしているのが一面下のコラムではないかと思われる。新しいコラムの時代が始まっているのかもしれない。
私は先年来、読売新聞の「編集手帳」に心惹かれることが多い。文章が好きであって、あるとき、思い切って、名文だといってファンレターを送った。そして筆者が竹内政明さんであることを知ったのである。
その竹内政明さんが『名文どろぼう』(文春新書)を出した。読む前から、これはおもしろそうだと期待した。たのしい話がどっさりあるだろう。おもしろい話やエピソードのアンソロジーだと見当をつけて読み始めたが、そうではなかった。話題ごとにまとめられた小話に、著者のユーモア、ときにはペイソスのあるコメントがついていて、それぞれが独立したエッセイになっている。
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