五年まえサラリーマンを辞めて著述業を目指した。第二の人生はこれまでとちがう道を歩みたいと考えていた。六十五歳になっていた。周りのひとたちは陰で冷笑したことだろう。著述にはなんの才能も実績もなかったから。
伯父が直木三十五という小説家だった。本名植村宗一。父の兄にあたる。伯父が四十三歳で死んだのが昭和九年、私が生れたのが昭和十三年なので、私は伯父を直接は知らない。ただ、幼いころから「おまえは直木の伯父さんそっくりだ」といわれながら育った。「容貌だけでなく性格までそっくりだ」というのが父の口癖だった。そんなことが意識の底にあったからだろう。私は物心ついてからずっと著述を業としたいと夢見つづけていた。それが、永年の宮仕えを終えたことで突然実現した。作家と画家にはライセンスがいらない。意志さえあればだれでもなれるのである。
とはいうものの、素人の著作が活字になるまでにはそれなりの苦労があった。自分の書きたいことを文章にするのも一仕事だが、出来あがった文章を活字にするのも並大抵の苦労ではない。私は出版社に恵まれた。一作目が伯父の評伝『直木三十五伝』(文藝春秋)であるが、この企画成立には文藝春秋と関係の深かった伯父の存在が大きく与(あずか)ったに違いない。二作目は六十一年間一教師をとおした父の評伝『歴史の教師植村清二』(中央公論新社)だが、これも出版社と父との縁がとりもったといえる。私は運がいい。
さらに、その二作がどうした風の吹き回しか思いがけず賞を受賞した。私は不肖の息子で、学生時代もサラリーマン時代も賞などというものにはまったく縁がなかったが、前者が一昨々年、第十九回「尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞」を、後者が一昨年、第五十五回「日本エッセイスト・クラブ賞」を受けたのである。いずれも自分の力を超えたところでの受賞だったので、私は受賞パーティで「これはたぶんコネ受賞でしょう」と挨拶した。編集者にも恵まれた。著述業を支えるのはたしかに編集者に違いない。
身内シリーズのノンフィクションを書き終えた私は、次になにを書くべきかと悩んだ。出した結論はフィクションである。小説に挑戦する。テーマはすぐに決まった。「老人の恋」。
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