東大寺大仏殿の昭和大修理が完成したのは一九八〇年だった。落慶法要に参加し、散華が空に舞う姿を見た。大屋根の大きさに目を奪われたのはむろんだが、瓦の色調に品格があり、見ていてあきなかった。
大修理といっても全部の瓦を葺き替えたのではない。元禄時代の瓦の28%、明治時代の瓦の15%を残し、それらを昭和の新しい瓦57%とまぜあわせて大屋根の風格を創り出している。微妙に色の違う瓦をまぜたのは、先人の知恵に学んだからだろう。
あの大屋根がまったく均質の瓦でうめられていたら、あのような「心を和ませる調和感」は生まれなかったと思う。ここで私がいいたいのは「雑」ということの大切さだ。本書を読み、改めて「雑」のおもしろさを味わうことができた。「雑多」であることは生態系的に優れており、新緑のころの「雑木林」のように躍動する。
本書の筆者には、作家、編集者、新聞記者もいるし、声楽家、写真家、女優、医師、財界人もいる。年輩の男性もおり、育児中の主婦もいる。主題も文体もばらばらだ。そういう雑多性の中では、作品と作品が響きあい、作品の個性がめだつ。
主婦といえば、柳田あけみさんの『カ・キ・ク・ケ・子』(P183)には学ぶところがあった。文章が格段にいい。小学生の息子が飼いはじめたトカゲのカナ子に、初めて餌のバッタを与える。食う側と食われる側と、小さな生きものが飼育箱の中で対峙する。 「暑い夏の一瞬が凍りつく」以後の六、七行を何度も読み返した。
なによりも、観察力のたしかさがある。現場で見て、見て、見て、さらに見て、時には触って、心に浮かんだことをすなおに書く。そういう文章の基本がいかに大切なことか。
医師、方波見(かたばみ)康雄さんの、幼なじみの友人のことを書いた作品もよかった(P23)。農家のサブちゃんは子どものころ、自分の家の馬小屋に方波見さんを連れていった。馬はしっぽを振って、サブちゃんにやさしい目を向けていた。サブちゃんは、学校では見たことがないほどおしゃべりだった。
七十年後、認知症になったサブちゃんが方波見さんのいる病院にくる。本人は「馬が心配だから早く帰りたい」と繰り返していたが、現実には、馬はとっくの昔、飼うのをやめていたのだ。切ないが、旧友を見守る筆者の目のぬくとさがいい。
深く心に刻みつけられたことを書く。
自分でなくては書けないことを書く。
なんとしても人に伝えたいことを書く。
いいエッセイはそこから生まれるのだという基本を、柳田さんや方波見さんの文章は教えてくれる。
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