2014.06.27 インタビュー・対談

それぞれの不条理を抱えて

聞き手: 「本の話」編集部

『この女』 (森絵都 著)

それぞれの不条理を抱えて

――このたび文庫化された『この女』は、阪神大震災前夜の大阪、神戸を舞台にした物語です。大阪の釜ヶ崎で日雇い労働に従事する青年・礼司と、資産家の妻・結子の、一風変わった愛のかたちが描かれますが、単に恋愛小説といってしまってよいものかどうか。スピーディーな展開で読みやすさも抜群なのに、読後感は複雑です。2011年の発表当時から、新境地を切り開いた作品として話題を呼びました。

 特に新しいことをやろうと思ったわけではないのですが、脱稿してゲラに目を通していたときに東日本大震災が起こったので、偶然の一致に驚かれた方が多かったようです。私自身もとまどい、一時は刊行の延期も考えました。でも、ボランティアで被災地へ行ったとき、たとえ数ヶ月延期したところで何がどうなるわけではないと、ふっきれた感じがありました。

――書くことでかかわっていこう、と。

森 そこまで能動的ではないんですけど。震災の小説を書いているときに震災が起こったことで、物語と現実の垣根が崩れたというか、被災地から意識を切りはなすのが難しくなったところもありますね。

――震災の翌年には、福島原発の避難区域を取材したノンフィクション『おいで、一緒に行こう 福島原発20キロ圏内のペットレスキュー』(文藝春秋刊)を発表されました。

 さて、『この女』の舞台を1990年代半ばに設定したのには理由があるのでしょうか。

 阪神大震災やオウム真理教事件の起こった1995年は、日本が大きく変わってゆく節目だったといわれます。当時は私も20代で、それほど深刻な受け止め方はしていませんでしたが、15年を経て、格差社会という言葉が当たり前のように使われる時代になって、ターニングポイントを見つめ直してみたくなったのかもしれません。釜ヶ崎という場所を選んだのも、ある面、不条理のまかり通っている日本の縮図のように思えたからです。普通の生活をしていた人が、ひょんなことからすべてを失ってしまうこともある。彼我の距離は意外に近いのだということを、取材を通じて感じました。ただ、主眼はあくまでも人物をいきいきと描くことにあって、時代や土地そのものを描こうとしたわけではありません。

――礼司の書いた小説という体裁をとっていますが。

 小説内小説という手法には、以前から興味がありましたし、男性作家の筆で描かれる女性というのが私はもともと好きなんです。女性作家が描く女性との距離感に魅力を感じて、何か神秘的な生きものみたいに思えて。小説の中に男性作家を登場させれば、女の私にも「男性作家の描いた女性」が書けるのかなと。ややこしいですけど。

――ヒロインの結子は、かなりエキセントリックな人物です。もとは高級クラブのホステス。身の上話は嘘ばかり。すぐに男と寝るけれど、2度目は絶対にない……。

 心の傷から気をそらすために、より大きな傷を求めるような生き方ってありますよね。傷で傷を薄めるというか、破綻が目に見えているのに止まれない、どうしようもない性(さが)のようなものを持っている女性を一度描いてみたかったんです。 実際にそばにいたら反発を感じるような相手に、小説の素材としては刺激をおぼえます。

――結子という人物が、この物語の最大の“謎”ですが、それ以外にも様々な謎がちりばめられていて、ミステリを読むような面白さがあります。

 緻密なプロットを練るほうではないので途中かなり難儀したのですが、礼司自身の謎については前提として最初からありました。

――そもそも礼司のような青年が、なぜ釜ヶ崎にいなければならないのか、という謎ですね。しかし、その謎が解けても礼司が救われるわけではない。結子との愛も、彼の行く末だけを考えれば、救いにはなっていないように思われます。複雑な読後感の所以かと。

 この小説、苦労を経てきた方ほど強く共鳴してくれた1冊なんですけど、私はラストの場面に、やはり礼司にとっての何かしらの救いがあったと思いたいです。もちろん一瞬の救いにすぎないのですが、誰もがそれぞれの不条理を抱えて生きている中で、恒常的な救いなんてありませんよね。だからこそ一瞬一瞬の幸福が光り輝くのではないかと。そしてそれをもたらすのは必ずしも家族や恋人でなくてもいい、他人であってもいいという思いがこの小説の底には流れています。

この女
森 絵都・著

定価:610円+税 発売日:2014年06月10日

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