パリを舞台に、バルザックや実在の人物たちが地上で地下で大冒険を繰り広げる、鹿島茂氏の新刊『モンフォーコンの鼠』。「危険思想」集団同士の抗争、広がる地下社会、巨大化した鼠など、博覧強記の鹿島氏が書き上げためくるめく小説世界――パリの歴史と文学に造詣が深い佐藤亜紀氏との対話で「モンフォーコン」の秘密に迫る!
佐藤 『モンフォーコンの鼠』、非常に面白かったです。バルザックの作品群を土台に、ジャン・ヴァルジャンやジャヴェール警部が出てきたりと『レ・ミゼラブル』の世界とも接続しながら、バルザックの『十三人組物語』を当のバルザックたちが再現していくメタテクスト風になり、そのまま怒濤の冒険小説的展開に。文学の仕掛けをきちんと持ちながら、小説の王道をいくような運びで、驚きました。
鹿島 ありがとうございます。僕は小説のタイトルが先行するタイプの人間で、約25年前にアラン・コルバンの『においの歴史』を翻訳していた時、モンフォーコンのことがたくさん出てきたので、このタイトルがひらめきました。屎尿処理場かつ廃馬処理場であり、「パリの下半身」とも呼ばれたモンフォーコンを、書きたいと思いました。それと、パトリック・ジュースキントの『香水』を読んで、こういう風に社会史から小説を作ることが可能なんだなと思って、資料をいろいろ買い集めた。
佐藤 蘊蓄をのびのび書かれておられる部分には自由なインプロヴィゼーションの魅力もあります。
鹿島 後半はともかく(笑)、前半は完璧な資料に基づいています。藤原書店版の『バルザック「人間喜劇」セレクション』の編纂をやった時に、『十三人組物語』をチェックしたんですけれど、これだけがバルザックの小説のなかで異色なんですよ。バルザックがまだ大衆文学の作家だった時代の名残がある。しかもSMやレズビアニズムとかがゴタ混ぜになっていて、暗黒小説でもあります。なぜバルザックがこれを書いたかもわからないし、「フェラギュス」「ランジェ公爵夫人」「金色の眼の娘」からなる3部作なのに、それぞれが全然繋がっていない。3つを結ぶ糸を考えているうちに、論文よりも小説で書いた方が面白いんじゃないかと思いました。なのでこれを本歌取りして謎を解きたいという着想から書き始めたんです。ずいぶん長くなってしまいましたが。
佐藤 それも伊達ではない長さになっていますね。何年連載されましたか。
鹿島 4年かな。本にするのに、3分の2ぐらいに縮めたんですけど、入れ子構造になっているから、縮めるのはパズルみたいできつかったなあ。
佐藤 『十三人組物語』のなかに繋がりがあるとすれば、3部作、ぜんぶストーカーの話ですよね。これをきっかけに読み返したのですが、読みながら、ひたすら「こいつキモい!」と(笑)。
鹿島 まあ、ストーカーすること自体が、愛の表現であるという文化もあるわけだし。
佐藤 そういう時代があったんですよね。日本でも、好きな同級生の下宿先に行って、窓を見上げて、うっとりして……今ではそんな行為はストーカーと言われてしまう。そのストーカーの話は、今作でまた肝になっていますよね。『モンフォーコンの鼠』では、バルザック自身が登場し、ほかの誰かがバルザックの昔使っていたペンネームで発表した『デヴォラン組』の続きを書いていく。『デヴォラン組』は『十三人組物語』を髣髴とさせる3部作で、しかも現在進行形の出来事を第4部としてバルザックが小説にする、という入れ子構造になっています。バルザック自身を書くのはいかがでしたか。
鹿島 僕は彼の伝記を書いているからわかるんだけど、こんな面白い人はないんだなあ。だから本人を登場させたかったというのと、バルザックが『十三人組物語』を書いている時期や、登場人物たちの多くは実在の人物なので、史実から外れないように書く、という自分で作ったルールをどうやって守るかを考えました。小説は何をやってもいいはずなんだけど、小説内ルールを作家本人が定めないといけないのが、面白くて不思議なところ。こういう本歌取りタイプの小説は枠組みが決まっているので、その中でいかにルールを逸脱せずに最後まで持っていけるかを考えました。そういう意味で、これは小説について考える小説でもあると思いますね。
佐藤 今作は大胆に、枠組みを途中で動かしていますね。ジャンルも越境して、いろいろな小説がネタになっている。
鹿島 これ1冊読めば、19世紀フランス文学を一応全部踏まえられるようになっている(笑)。読者に気づかれないように枠を移行しつつ、最終的には19世紀小説の枠組みに戻しています。
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