2009.06.20 書評

天国の一年と地獄の三年

文: 角地 幸男 (翻訳家)

『日本人の戦争――作家の日記を読む』(ドナルド・キーン 著)

   ライフワークとして知られる『日本文学の歴史』全十八巻の完成後、キーンさんの関心は、もっぱら幕末から明治という歴史の転換期に向けられたようだった。『日本文学の歴史』の原文タイトルをそのまま利用すれば、“World Within Walls”(壁の中の世界=江戸時代)から“Dawn to the West”(太陽は西から昇る=明治時代)への転換期ということになる。『明治天皇』全二巻がそうであり、『渡辺崋山』がそうだった。

   しかし、キーンさんが関心を抱いた歴史の転換期はもう一つあって、それは昭和二十年八月十五日の敗戦だった。幕末から明治の転換期が外国列強の脅威をなんとかしのぎ、新しい近代国家を作り上げた草創期とするなら、昭和の転換期で日本人は史上初めて外国との戦争に敗れ、連合軍による占領を体験したのだった。

   真珠湾攻撃の昭和十六年末から占領期の最初の一年を含む五年間を、もっぱら作家の日記を通して浮き彫りにしようと試みたのが、新著『日本人の戦争――作家の日記を読む』である。キーンさんによれば、日本人は太平洋戦争で「天国の一年と地獄の三年」を経験したのだった。この“One Year of Heaven, Three of Hell”は、キーンさんが本書の英文タイトルとして考えた候補の一つである。来年に出版予定の英語版の版元コロンビア大学出版局は結局このタイトルを採用しないようだが、著者キーンさんの切り口はこのタイトルに明らかである。戦時の四年間で「天国」と「地獄」をもろに体験した日本人は、八月十五日の敗戦を境にどう変わり、また変わらなかったか。

   登場する日記作者は永井荷風、伊藤整、高見順、山田風太郎、内田百閒、渡辺一夫、清沢洌(きよし)、徳川夢声、古川ロッパ等々、作家のみならずジャーナリスト、学者、漫談家、喜劇俳優まで多岐にわたる。キーンさんはこれら複数の日記から関心の趣くまま自在に引用しては、戦時から終戦直後の日本人の日々を描き出していく。

   日記といえば、すでにキーンさんには平安、鎌倉から室町、江戸時代を経て近代日本に至る日本人の日記を取り上げた『百代の過客』(正・続)がある。また本書の序章で触れているように、日本文学者ドナルド・キーンが日本人にとりわけ強い関心を抱くようになったきっかけは、世間で言われているように源氏でも近松でも芭蕉でもなく、戦時中に日本の兵士たちが死の間際まで書き続けた日記を読んだことにあった。

 

日本人の戦争
ドナルド・キーン・著 , 角地 幸男・訳

定価:1800円(税込) 発売日:2009年07月16日

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