浜本 いやあ僕、今日はびくびくしながら来たんです。山本さん、怒っていらっしゃいませんか? こんな映画にしやがって、って思ってませんか?
山本 何をいきなり(笑)。私は映画というのは、もう監督と役者さんたちのものだと思っているから、怒るなんてとんでもない。……でも、どこで怒ると思ったの?
浜本 おふみさんが死なないところとか、永吉と傳蔵を一人二役にしたところとか……。
山本 いやいや、面白いと思いましたよ。久々に時代劇らしい時代劇を観たという感じでした。
浜本 そうですか。僕は一九六三年生まれなんですが、幸運にも、右も左もわからないひよっこの時から35ミリのフィルムで育った「映画屋」なんです。だからそう言って頂けるのが一番嬉しい。
山本 でもこうやってお目にかかると、長髪だしスニーカーはピンクだし、とてもあんな端正な時代劇を撮る方には見えないね(笑)。
浜本 こう見えて、子供の頃から年季の入った時代劇好きなんですよ(笑)。だから、今回初めて時代劇を撮ることができて、ものすごく嬉しいんです。
僕が初めて「あかね空」を読んだのは、篠田正浩さんの「スパイ・ゾルゲ」の仕上げにかかっていた時でした。埼玉のスタジオにこもっての作業の毎日も、そろそろ目処が立つという頃、「この本、読んでみてよ」と篠田さんにぽんと手渡されたんです。
夕方の六時頃からだったかなあ。家に帰って、読み始めたら、一晩ですよ。ボロボロ泣きながら、どーっと読んでしまった。次の日は腫れた目をサングラスで隠して編集室に入って、すぐ「いや、これはやりましょう、やらせてください」と篠田監督に言っていました。それがはじまりです。
山本 私はその時期、「あかね空」で直木賞を頂いた年ですが、篠田監督と対談をして、「山本さん、永代橋をスクリーンで見たいと思いませんか」と言われたんです。それで僕は、もういっぺんで参っちゃったんだな。すぐに「いや、それは見たいですよ」って答えてました。そうか、映画ってそういうことができるのか、とね。
浜本 そこで弟子の僕がまんまとツボにはまってしまったわけですね(笑)。
ところが、台本に取りかかり始めた頃、鹿児島の母親がATL(成人T細胞白血病)という南九州の風土病の一種にかかって、余命一年と宣告されまして、一時期仕事が手につかなくなってしまったんです。けれども母親に、「この仕事は、あんた、やりなさい」と言われて、鹿児島の家を売り、親子三人で暮らしながら、あの台本を書き始めたんです。
僕は一人っ子だったので、「あかね空」の栄太郎は「これ、俺かよ」と(笑)。僕自身、大学に八年行ったり、海外行ってプラプラしていたり、ろくでもない親不孝息子でしたから、ものすごく身につまされましたね。
山本 プログラムに「原作を読んで四回泣いた」と書いてありましたが、一体どことどこで?
浜本 いや、四回と言うと四回しか泣いてないみたいですが、頭から終わりまで泣いています(笑)。特に主人公を陰ながら助ける相州屋の女房、おしのが出てくると弱いんです。涙腺がゆるんじゃって。あと、秀弥さんや息子たちの場面。ラストももちろん号泣でしたね。
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