私が30年前に書いた『ドキュメント 東京電力企画室』が、新たな文章を加えて『ドキュメント東京電力 福島原発誕生の内幕』と改題され、復刊された。
本書が描いているのは、GHQによって解体された電力事業が、東京電力という巨大企業に成長していく過程である。独立を保ちたい東京電力と、再国営化して主導権を握りたい通産省(現・経済産業省)との駆け引きは、壮絶なものがあった。
その闘いの中で、両者の「駆け引き材料」にされてしまったのが、原子力発電であり、東京電力でいえば福島原発である。
1962年9月21日の東京電力常務会。ここで、東電の創業的経営者であった木川田一隆社長は「原子炉のタイプは軽水炉、ゼネラル・エレクトリック社の沸騰水型(略)。福島県双葉郡大熊町です」と、有無をいわさぬ断定的な口調で原発建設を打ち明ける。居合わせた技術担当常務も寝耳に水だった。
もともと木川田は、原子力発電についてこう語っていた。
「原子力はダメだ。絶対にいかん。原爆の悲惨な洗礼を受けている日本人が、あんな悪魔のような代物を受け入れてはならない」
そこまで公言していた木川田が原子力発電所を建設するという、いわば「悪魔と手を結ぶ」ようなことを決断をしたのも、通産官僚たちに電力事業の主導権を取られたくないという思いからだった。