2014.09.16 文春写真館

NHKラジオに初めて登場した時の村岡花子

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

NHKラジオに初めて登場した時の村岡花子

 NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」の主人公村岡花子が、NHKラジオに初めて登場した時の一枚。昭和七年(一九三二年)六月一日撮影。東京朝日新聞の「きょうの放送番組」の欄に午後六時二十分より、「コドモの新聞 村岡花子」の文字が見える。

〈番組が開始されると、日本各地の子供たちがラジオの前に陣取った。花子の柔らかな、それでいて張りのある口調は聴衆に親しまれた〉(「アンのゆりかご」村岡恵理著)

 締めくくりの「それではごきげんよう! さようなら」というフレーズは、物真似が現れるほどの人気となった。村岡自身、日比谷公会堂の演芸会で、芸人が声帯模写をしているのを目撃している。

〈場内笑いの渦の中、顔は知られてはいないとは言え、恥ずかしさに真っ赤になって花子は慌てて逃げ帰った。その芸はよっぽど受けたのか、以後、ラジオの演芸番組でも度々、披露されていた〉(同前)

 こうして村岡は「ラジオのおばさん」として、子供ばかりでなく、全国的な人気者となった。

 村岡花子は、明治二十六年(一八九三年)、山梨県生まれ。本名安中はな。父が熱心なクリスチャンで、ドラマとは違って、はなが五歳の時に上京し、南品川に住居を定めた。父は娘のために奔走し、はなは東洋英和女学校に給費生として入学する。同級生に、大正三美人の一人、波乱万丈の人生を送った柳原白蓮がいた。

 卒業後、山梨で教師を勤めた後、東京の教文館で編集者として働く。印刷会社を経営していた村岡儆三と出会い、結婚、長男をもうけるが、大正十五年(一九二六年)、病で失う。この悲しみを乗り越え、翌年、マーク・トウェインの「王子と乞食」を出版。また、女流文学者による同人誌「火の鳥」の同人となる。

 昭和十四年、宣教師ミス・ショーがカナダに帰国する際、「赤毛のアン」の原書を贈られる。戦中に翻訳した後、昭和二十七年、三笠書房から出版された「赤毛のアン」は、長く読み継がれるベストセラーとなった。昭和四十三年没。

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