この小説は、実在した人物の一代記なので、歴史小説である。その人物は鴻池財閥の基礎を築いた人物なので、経済小説でもある。なおかつ、鴻池財閥は、日本酒を扱って大成功したので、酒をめぐるグルメ小説でもある。このように、さまざまな角度から楽しめるのだが、突きつめて言えば「幸せ」について考える人間小説である。
人間が喉(のど)から手が出るほどに欲しいもの。なかなか手につかみ取ることができないもの。手に入っても、すぐになくしてしまうもの。それが、幸せである。
つかみ所のない、けれども、すべての人間が追い求めることをやめない「幸せ」の本質を、小前亮は多面的に探究する。読者はこの小説を楽しんで読みながら、歴史の勉強も、経済の勉強も、そして哲学の勉強もできる。まさに、優れ物であり、掘り出し物の一冊であると、自信を持って推奨できる。
鴻池財閥の始祖である鴻池新右衛門幸元(しんえもんゆきもと/一五七一~一六五〇)は、「吾に七難八苦を与えたまえ」という名言で有名な武将・山中鹿介幸盛(やまなかしかのすけゆきもり)の子である。にもかかわらず、強い意思をもって武士を捨て、商人として生き、酒を造り、酒を売って巨富を築いた。その八十年の生涯が、「鴻池流事始」のサブタイトルを持つ『月に捧ぐは清き酒』で活写されている。
「鴻池流」とは、新右衛門が改良を重ねて編み出した「清酒=双白澄酒(もろはくすみざけ)」の醸造技法を指している。それ以前の日本酒は、濁り酒であった。澄み切った清酒は、新右衛門の名前である「幸元」と、父の名前である「幸盛」のどちらにも含まれる「幸せ」のシンボルである。酒は、人間に幸せをもたらし、世の中を平和にする宝物である。
幸せは、なぜ、つかみ取ることが難しいのか。どうやら、「具体的な願いでないと、幸せになりたいという人間の願いは叶わない」という法則があるようなのだ。漠然と、「お金が欲しいなあ」と思っているだけでは駄目である。「お金が手に入ったら、こういうことに使いたい」という明確な目的や用途があれば、人間は何としてもそれを実現させたいものだから、日夜心を砕いて精進する。命がけで頑張れば、結果として、いつの間にか幸せになっている、という仕組みである。
漠然と、「理想の女性と出会えて、結婚できればよいのになあ」と思っていても実現性には欠ける。たとえば、「幼なじみの、はなちゃんと一緒になって、嬉しいことも苦しいことも何でも話し合える夫婦になりたい」という具体的な目標があって初めて、幸せな家庭が築ける。
人は、「幸せ」と向かい合い、それを求めることで、自分の生きる道を発見する。そこに、それぞれの人生の個性とストーリー性が生まれる。『月に捧ぐは清き酒』を読むうちに、「幸せ」と関わるには五つの流儀があると、読者にはわかってくる。