- 2015.05.29
- 書評
どんな英雄も、どんな大帝国も、会計を蔑ろにすれば滅ぶ
文:山内 昌之 ,文:片山 杜秀 ,文:篠田 節子
『帳簿の世界史』 (ジェイコブ・ソール 著/村井章子 訳)
出典 : #文藝春秋
山内 歴史というのは、モノを見る視点を変えると、全く違った姿が浮かび上がります。著者は、古代文明からリーマン・ショックまで、つねに国家の礎として会計が最も重要だったとし、帳簿から見た歴史の分析と叙述に挑んだ。これが実に面白い。
たとえば、ルイ16世の財務長官ネッケルは、1781年、国家、王家の収入・支出を初めて国民に公表します。経常支出の内訳を見ると、宮廷費用と王室費が2570万リーヴルであるのに対して、警察・照明・清掃が150万リーヴル、貧民救済費が90万リーヴルと圧倒的に少ない。さらに、4年後に起きた首飾り事件で、マリー・アントワネットの首飾りが200万リーヴルだったことが判明する。まさにこれがフランス革命の遠因になるとは実に明快。
また、家計簿や銀行通帳のように、現金の出入りだけを記す単式簿記ではなく、現金の増減とそれに伴う資産の価値をも表わす複式簿記の発達が、企業や国家が資産と負債の状況をリアルタイムで把握することを可能とし、横領などの不正を防止し、国家や企業の発展のキー・ポイントになったことを指摘します。
篠田 私が学生だった頃は、マルクス経済学華やかなりし時代で、下部構造=経済が上部構造=政治や文化を規定するとか言われていましたが、あの観念的な決定論に比べると、この本が提示する会計システムが社会や歴史を動かしてきたという話は実にダイナミックで説得力があって、感動しました。
なかでも興味深かったのが、フィレンツェのメディチ家が没落した原因。コジモ・デ・メディチは、複式簿記による銀行経営や交易などによって莫大な資産を築き、芸術のパトロンとして惜しみない援助を行ったことで、ルネッサンスが花開いた。けれどもその会計技能は次世代に伝わらず、文化史上では「偉い人」になっている孫のロレンツォが、実は放漫経営や不正を行っていて、メディチ家を衰退に導いている。
片山 コジモがルネッサンスの擁護者、つまり古代ギリシャの学問を支援した結果、エリートが社会を文化的にも政治的にも導くという新プラトン主義がさかんになる。すると現世的な商業は軽視されるようになります。フィレンツェの栄光を支えていた厳密な会計と監査が忘れられ、自壊してゆく過程が面白い。
山内 ただ、ルネッサンスにも功績がある。フィレンツェやジェノヴァ、ヴェネツィアといった北イタリアの商業共和国の発展には、アラブ・イスラム世界からアラビア数字を享受していたという事情があります。アラビア数字の「893」は、ローマ数字でDCCCXCIII。これでは計算どころではない(笑)。後者にはゼロもない。
他方、こうした商業共和国は特殊な例で、ルイ14世のような絶対君主の下にある王制国家では、アカウンタビリティ、つまり政治が会計責任を負うという原理は持ち得なかった。5歳で即位したルイ14世には、ジャン=バティスト・コルベールという有能な財務総監がいました。彼は王に監査責任を果たしてもらうべく、簿記の基礎を教育します。王はポケットサイズの帳簿を持ち歩いていた。コルベールは王に対し、ヴェルサイユ宮殿建設や対オランダ戦争に金がかかり過ぎると苦言を呈したといいます。ここまではよかったけど、コルベールが死に、親政を始めると、「朕は国家なり」で浪費の歯止めはきかなくなる。
篠田 ただ、戦争はともかく当時はとんでもない浪費であったヴェルサイユ宮殿が、現代では世界遺産として莫大な観光収入を上げ、フランス国民に富をもたらしている。こういう長いスパンでの帳尻を考えると、物事は帳簿だけでは処理しきれないような気もします(笑)。
「心の会計」の習慣
片山 そこで神様なんですね。キリスト教徒は、悪行が善行を上回ると地獄に落ちるから、「心の会計」をして日々の善悪の差し引きをする習慣が伝統的にあったと言う。そこに利己心に走っての金儲けは罪深いという文化が加わる。「心の会計」と「お金の会計」がセットになり、キリスト教徒は丹念に帳簿を付ける。罪の負い目を減らすために、利益を貧民救済に寄付したり、免罪符を買ったりする。一方、罪の重さを本当に計算できるのは神だけで、人間が計れると思うのは驕りという考え方もある。こういう思想はいい加減な会計意識と結び付く。何でも帳消しにしてしまう(笑)。著者は世界史全般を、この2つの立場の争いとして説明する。面白いですね。
山内 ジェレミ・ベンサムは、「最大多数の最大幸福」の原則を提唱し、複式簿記方式で幸福度を評価しようとした。幸福と苦痛の価値を合計して、両者の差を出して改善すれば、現世の幸福を得られる、と。この考え方がシンプルな形で文学作品にも見出される。「年収が20ポンドで年間支出が19ポンド60ペンスなら、結果は幸福。年収が20ポンドで年間支出が20ポンド60ペンスなら、結果は不幸」というまさにベンサム的な幸福度評価が、父親が会計士だったチャールズ・ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』に書かれているという指摘も好奇心をそそる。
アメリカ建国の功労者ベンジャミン・フランクリンの事例も興味深い。彼は善行と悪行を帳簿につけていました。「節制」とか「沈黙」とか徳目を13並べて、達成できなかったときは黒丸を書き込む。マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、会計と倹約に関してフランクリンを評価するのもうなずけます。
篠田 そのフランクリンが外交交渉でパリに滞在した際、独立記念日に盛大なパーティーを開いて「ワインを100本以上」空けたそうで、この弾けっぷりはどうですか(笑)。
山内 倫理と精神はどこにいったの、と言いたくなる(笑)。フランクリンは、次第に会計が面倒臭くなったのでは、と著者は言いますが……。
篠田 それもまた外交官の腕の見せどころで、ワイン100本で国の威信を高める効果を狙ったということでしょうか。
山内 ジョージ・ワシントンも几帳面に個人の帳簿を付け、公開すらして公私の混同がないことを示した。アレクサンダー・ハミルトンの「権力とは、要するに財布をしっかり握っていることだ」という言葉は、会計を通じて財政を掌握することが国家運営の根本だということをよく理解していた点を示している。彼ら建国の父たちの堅実さがアメリカを成長させたのでしょう。
片山 最後に、編集部による「帳簿の日本史」という章が付加され、江戸時代に独自の複式簿記が存在したと説明されています。本書では、神への畏れから会計意識が育ったという西洋的説明が強調されていますが、ならば日本のこの例を著者はどう解釈するか、興味がありますね。
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