2017.11.30 書評

なぜ辞令はかくも不条理なのか――「組織と人間」を見つめる人事小説の傑作

文: 加藤 正文 (神戸新聞播磨報道センター長兼論説委員)

『辞令』(高杉良 著)

 作品群が示すように高杉が一貫して見つめてきたのは、時代の変化に伴って揺れ動く「組織と人間」である。戦後社会で苦闘する創業者、不透明な人事に翻弄されるミドル、後継者が適切に選べない創業社長、不良債権の重圧にのたうつメガバンクの首脳、迷走する新聞社トップと記者たち……。不条理な現実と向き合う個人の視座から経済社会の実像が浮き彫りになる。

日本社会の変質

「組織と人間」を追究した作家の先達(せんだつ)が没後一〇年になる城山三郎(一九二七~二〇〇七年)である。経済小説の今に至る隆盛を切り開いたパイオニアといえる存在だ。生前、神戸新聞のインタビューでこう話している。

「マクロ経済には全く興味がありませんし、勉強もしていません。経済学の道から転向したのもそのためです。もっとミクロな話、つまり人間と人間の話に非常に関心と興味があるんです。人間、そして組織。人間をみるほど、面白いことはありませんよ」

 若き日、海軍に身を投じたが、そこで幹部の腐敗を目の当たりにする。そして移動先で見た広島の原爆。「文学を志すきっかけになった」。組織に虐げられない個人の生き方とはどこにあるのか。デビュー作の『輸出』は国是だった輸出立国の日本のために働く商社マンの姿を描いた。家族を犠牲にしても組織の大義のために個を捨てる男たちの物語だった。

 城山と交流のあった高杉は『小説日本銀行』と『毎日が日曜日』の二作を高く評価する。「城山作品に共通する卓抜とした視点、描写もさることながら、私が尊敬してやまない点は、豊富で綿密な取材に裏打ちされたリアリティーにある」。これはそのまま高杉の信条になっている。

 城山より一二歳下の高杉は、バブル崩壊後の日本社会の変質に危機感を抱き、作品に反映させてきた。膨大な作品群の底流にあるのは市井に生きる人々への共感である。

「格差が拡大し、克服したはずの貧困が社会問題になっている。行き過ぎたグローバリズムと市場原理主義の結果だ」「このままでは本当の幸福や豊かさはやって来ない」「経済小説はリアリティーがすべてだが、その中には、時代を切り取り、権力に立ち向かうことも含まれるはずだ」

 高杉は二〇一七年五月、初の自伝的作品として『めぐみ園の夏』を出した。戦後の混乱期、千葉県の児童養護施設に預けられた自身の経験を描いた。貧しく切なく辛い状況にあって、人々の思いやりとつながりに希望を見いだす物語となっている。「めぐみ園がなかったら作家になっていなかったかもしれない」

 戦後七二年。あのとき目指した、幸福と豊かさに満ち、何より個人が尊重される社会になっているのだろうか。アルチザン(職人)を自称してきた七八歳。先行きに不透明感が増しているからこそ時代を見据える円熟の筆に期待したい。


※参考・引用文献
高杉良『亡国から再生へ 経済成長か幸福追求か』二〇〇七年、光文社
高杉良、佐高信『日本企業の表と裏』一九九七年、角川書店
同『罪深き新自由主義』二〇〇九年、金曜日
加護野忠男『経営はだれのものか 協働する株主による企業統治再生』二〇一四年、
日本経済新聞出版社 ほかに、神戸新聞記事、インターネットサイトの記事を参考にした。

 

辞令高杉 良

定価:本体850円+税発売日:2017年11月09日