『幻庵』百田尚樹
幻庵を読み解くための囲碁基礎知識

碁は細かい決まり事もありますが、実はシンプルなゲームで、いわば陣取り合戦。黒石と白石を一手ずつ交互に打つのが基本で、石が囲った「陣地」の大きい方が勝ち。陣地を「地(ぢ)」と言い、地は「目(もく)」、石は「子(し)」という単位で数えます。最終的に黒の陣地が白より一つ多かったら「黒の一目勝ち」。勝ち目がないと判断したら、「ありません」と負けを宣言します(投了)。引き分けは「持碁」と言います。碁が他の勝負事と異なるのは、「手合(てあい)割(わり)」というハンディキャップを与えていること(以下の説明は現在ではなく、江戸時代のものです)。それゆえ、実力差がどれほどあっても対等に勝負ができるし、面白いんです。

段位差
名称
同 格
互先(たがいせん)
一段差
先々先(せんせんせん)
二段差
定先(じょうせん)
三段差
先二(せんに)
四段差
二子(にし)

初対局で、お互いの段位が同じ(実力差がない)場合、「互先」と言い、先番をお互いに交代して打ちました。一段差なら「先々先」で、三局のうち二局を下手(したて)(下位者)が先番(せんばん)(黒番。先に着手すること)を打つ。二段差は「定先」で、下手が常に先番。三段差なら「先二」で、下手が先番と二子番(黒を二つ置いてから始める)を交互に打つ。実力差があればあるほど、下手が前もって置く石の数が増えていきます。

碁は先番が圧倒的に有利で、五、六目の差があると考えられていました。百メートル走に例えれば、先番は五メートル先からスタート、二子はハンデ二十メートル、五子は五十メートルという感じですね。これだけ差があれば相手がボルトでも勝てそうな気がしますが、なかなか難しい(笑)。対局を重ね、どちらかが四番勝ち越すと、手合割が変わります(「定先から先二に打ち込む」などと言ったり、三連勝することを「カド番に追い込む」と言う)。囲碁の段位は九段が最高位で、九段を名人、八段を半名人、七段を上手と呼んでいました。六段までは各家元の当主の裁量で決められましたが、七段以上は他の家元の同意が必要でした。

囲碁史上最高の天才と呼ばれた本因坊道策は、ほとんどの棋士を先以下(二段差以上)に打ち込み、実力十三段とも言われ、幕府から囲碁界の最高実力者「名人碁所」に命じられました。碁所とは、将軍の指南役であり、すべての棋士の段位認定権(免状発行)など、大きな権力を持っていたのです(不在の時代もあった)。この地位をめぐって、数々死闘や暗闘が繰り広げられたのです。

福井正明(ふくいまさあき)/1944年東京都 生まれ。囲碁棋士(9段)。2008年通算600勝 達成。著書に『囲碁史探偵が行く』『幻庵因 碩打碁集』ほか多数。

週刊文春 2015年10月29日号より転載