本書(『私を通りすぎたマドンナたち』)は、いうまでもなく、昨年(二〇一四年)八月に刊行した拙著『私を通りすぎた政治家たち』の続編である。
『私を通りすぎた政治家たち』は、読者からの好評を得て、この出版不況にあって六万部のベストセラーになった。その本の帯に「最後の手記」と銘打っていたが、ちょうど本の刊行前に、私は心臓の大手術を受けたりしていたこともあって、その言葉に嘘はなかった。
しかし、手術後、小康状態を得て、足腰下半身は年相応以上に不自由ではあるが、幸いにも臍(へそ)から上はほぼ健康を回復している。
毎日、新聞やテレビや書物に接し、日本の将来について日々考え続けている。新聞雑誌への寄稿やテレビなどに出演したりもしている。
そんなおり、文藝春秋より、今回の本の企画を打診された時、一瞬苦笑を禁じ得なかった。
というのも、前著『私を通りすぎた政治家たち』の書名に関して、「これがもし、政治家の女性秘書の本の書名だったりしたらドッキリですね」と私に語る知人が多かったからだ。
石井英夫さん(元産経新聞論説委員)が『ウイル』(二〇一四年十一月号)で本書を取り上げた際も、冒頭で「この題名からして、著者が熟女だったら色めき立つところ。だが、ひときわむくつけき男性だったからと言って、がっかりすることはない。『最後の手記』と銘打つ痛烈な政治家エンマ帳だからだ。そこまで書いて大丈夫か、と心配したくなるほど鋭い筆鋒である」と書かれている。
また、あるパーティで小泉純一郎元首相と出会った時、「佐々さん、本読んだよ、面白かった。でも、銀座のバーのマダムが書く本のようなタイトルでしたね」と言われたりもして、大笑いしたことがあった。
そして、今回の『私を通りすぎたマドンナたち』となれば、どう思われることになるのか?
ここで、私の破廉恥な女性遍歴を赤裸々に書くのを期待される方もいるかもしれないが、もちろんそんなことを書くわけにはいかない。
誤解なきようお願いしたいが、本書はそういう本ではない。書名でいうところの「通りすぎた」というのは、もちろん、前著同様「出会った」「邂逅(かいこう)・遭遇(そうぐう)した」というニュアンスである。精神的な面での交遊・交友・交流関係を綴ったものである。
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