奈良時代、大仏建立時の物語である。
舞台は権力争いの絶えぬ宮中や都の地、役所の中など、この国の中心だった場所だ。その地で古き時を生きた人々が、この物語を作り上げている。
中には女帝であり、後に重祚(ちょうそ)する孝謙(こうけん)天皇や、歴史にその名を残している道鏡(どうきょう)という僧、遣唐使として唐に渡った吉備真備(きびのまきび)などが名を連ねている。
大きな歴史のうねりの中で、物語は展開されていくのだ。
しかし主人公は誰かというと、小中学校の歴史の教科書にも出てくるような、高名な者ではない。葛木連戸主(かつらぎのむらじへぬし)というその男は、話の内で、小役人と評されている。
その身分、高からず低からず、食べるには困っていないものの、上の役職の者に振り回され、頭を抱えねばならぬ立場であった。貧困にあえぐ貧乏人では無い。しかし、国家を動かす権力を奪い合う、高位高官ではないのだ。
今こうして、現代に暮らす私たちにしても、この戸主のような立場にあることが、ほとんどではないかと思う。上には見上げねばならぬ人がいる。下に、気を使わねばならない者を多く抱えてもいる。戸主はまさに、我らと似たような立場で日々を送っている男なのだ。
この物語は、はるかな古(いにしえ)の時代、ロマン溢れる時を書きながら、あえてそういう主人公を打ち立てている。その微妙な軽妙さが、何とも面白いではないか。今の世に生きる私たちというものを、考えさせる面を持っているのだ。
主人公戸主は、優しい男である。そして、もう青臭い考えばかりでは、世を渡ってゆけぬということを、知ってもいる年齢である。よって日々、悩み気苦労を背負い込むことになっている。その点でも、まことに身につまされる立場の男なのだ。
しかし戸主には、長いものには巻かれろという考えを良しとはしない、凛としたところもある。物事、かくあるべしという考えを、その身のうちに、きちんと持っている男なのだ。
その相反する思いが、戸主に災難を引き寄せたりする。今の世でも、出る杭は打たれる、などというのと、似ているのかもしれない。
しかし戸主は、ただ打たれて終わりとはならず、困難を乗り越えて行く。しまいには驚くような立場となって、その自由な思いを広げてゆくのだ。
山之口氏の著書といえば、歴史や音楽ものを、まず思い浮かべる。時を越え、遥かに離れた時代や場面を、リアルに描いているのだ。独特な華やかさを持った世界を、展開しているのではないかと思う。
そして今回、新作『天平冥所図会(てんぴょうめいしょずえ)』で、氏は始めて、古き日本を舞台に選んだ。
発想は自由度を増し、遥か奈良の地を駆けてゆく。話の内に出てくる、馴染みの薄い奈良時代の名や地位や仕組みは、一見取っつきにくいと思われるかもしれない。しかしこの話は、その躊躇させるものを、さらりとかわしてゆくのだ。
重厚さは確かに持っているのに、作中にかろみがある。『天平冥所図会』は、今までの山之口氏の作品の中で、一番ポップと言っていい作品になっているのではないかと思う。
もう一つ、この話の中で私が面白いと思ったのは、人と人との関係であった。主人公戸主とその妻広虫(ひろむし)、そして義理の子供達との関わり合いが、面白いと思ったのだ。
戸主と広虫は、そもそも一目惚れをしたのでも、大恋愛をしたという訳でも無かった。いや、どちらかというと、他の者の思惑の果てに、その縁が出来た感がある。二人は、主人公達という重要な立場の御仁達にしては、何ともあっさりと結ばれてゆくのだ。
また義理の子供達にしても、広虫と戸主の間に子が出来なかった故に、より深く結びついた者達であった。
当初そんな関係を見て、一寸、淡泊さを感じたりした。もどかしいような思いを、もったのだ。
しかし、である。
戸主は妻とも子供達とも、次第に深い結びつきを持ち、育ててゆく。戸主は勿論、話の内で色々な事件を解決してゆくのだが、そんな話の中で、妻広虫や子供達、それに周りにいる親しい者達の比重が、どんどんと増していっているのだ。
そして、密になった妻との関係が、また大きくこの物語にふくらみを持たせて行く。そこがまた、面白い。
歴史的事実や駆け引き、謎もある世界だが、実は作中の、様々な人達の関係を読むのが、一番好きであった。
人々の思いは深く幾重にも重なり、まるで新しいカクテルのように、思いがけない、また深い味わいを醸し出している。
手に取り、味わい深い時を過ごすのも良いのではないかと思う。