- 2016.07.22
- インタビュー・対談
毎日を自分らしく、ポジティブに生きる人生の達人(後編)
「本の話」編集部
『もうすぐ100歳、前向き。 豊かに暮らす生活術』 (吉沢久子 著)
ジャンル :
#随筆・エッセイ
中編より続く
単行本は折しも東日本大震災が起きた五か月後に刊行されたが、瞬く間に読者の心をとらえ、その後、版を重ね続けた。吉沢さんがたくましく戦争を生き延び、いつの時代も明るく前向きに生きてきたその姿勢は、多くの読者の共感を呼んだ。
――3.11のとき、みんな気持ちが下向きだったと思うんですよね。吉沢さんはあの時のこと、どのように覚えていらっしゃいますか?
吉沢 お友達の学校の卒業式に出ていたんですよね。生徒や父兄の方が何百人かいるでしょ。だから、自分のことよりもみんなをどうしたらいいか、そればっかりを考えていた。
――自分のことより、他の人のことを考えてらした。
吉沢 結局、あの日うちへ帰れず友達のうちに泊まったんです。自分は独り身だからすごく気が楽なんですけど、家族がいたら大変だなぁと思いました。でも私の甥が、私の居場所が分からないもんだから心配してくれていてね。だから、本当にああいうときっていうのは、人の気持ちがよく分かりますね。友達の家でも大事にしてもらって、有りがたかった。人間関係を大事にするのは大切な事だと思いました。
――福島で原発事故も起きましたね。
吉沢 私はもともと原発反対なんです。
――「むれの会」(月1回、自宅で開かれる勉強会)に高木仁三郎さん(物理学者。原子力発電の危険性を早くから説いていた)を招かれたこともおありですね。
吉沢 えぇ、18年くらい前に高木さんに来てもらいました。ああいう人間の手で始末ができにくいものを、あんなに気軽に使っちゃいけないっていう点からも反対なんです。原爆が広島に投下されたとき、被害にあった人は本当に大変だったけれども、何か助けるっていったって、何もできない。こういうものがあっちゃいけないっていう思いにかられました。そして実際、原発事故はチェルノブイリとかで起きていた。詳しい情報を何も知らせないで、しかも安倍さん(首相)なんか他の国に売って歩こうっていうわけでしょ。そのことに本当に腹が立って、じっとしていられなくなり、新潟日報(50年以上、連載コラムを執筆)に書きました。
――3.11が起きて、比べることではないかもしれませんが、戦争中のことを思い出されましたか?
吉沢 戦争のときのことは、あんまり情報が伝わってこなくて、状況がよく分からなかった。だって、同じ日本にいても、あの8月の原爆投下の日、わたしが何をしてたかって言えば、1月遅れの七夕をお友達とやってはワァワァ騒いでいたんです。原爆のことがすぐには分からなかった。「新型爆弾が落ちたそうだ」という程度の情報しか入ってこなかったんですね。あの戦争を体験した者としては、二度と戦争は嫌ですね。私は自分のためにもいやだし、みんなが不幸になるんですよ。だって今まで働いていた一家の働き手がふ~っと赤紙1枚で連れて行かれるでしょ。「あとどうしたらいいの?」って、残された者はそういう感じなんです。「抵抗できないで、そういうのってあるかしら」って腹が立ちましたね。
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