「逃げない男になりたい」。『秋月記(あきづきき)』の一節は、読者の心を鷲掴みにする。
舞台は、九州の秋月藩。藩政に辣腕をふるった間余楽斎(あいだよらくさい)は、誰からも逃げなかった。そして、美しい山河に囲まれて暮らす領民の静穏な生活を守りきる。すべてをなしおえた余楽斎は、胸一杯の矜恃を秘めて、島流しの地へと旅立つ。その凜冽たる生き方を、理解した女がいた。男装の女性漢詩人である原采蘋(さいひん)は、余楽斎の心を蘭の花の薫りがすると称えた。これが、「逃げない男」の得た、最高の勲章だった。これまで18作が刊行されている葉室作品を貫くメッセージは、このような「志」の強さと美しさにある。
このたび直木賞に輝いた葉室にインタビューする機会に、私は恵まれた。葉室は、『いのちなりけり』に登場する快男児・雨宮蔵人(あまみやくらんど)のイメージの源泉が、エドモン・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』だと教えてくれた。ロクサーヌへの秘めた愛を生きがいとしたシラノは、死の間際に、自分には誰にも奪われはせぬものが一つある、と叫ぶ。それは、私の「羽根飾だ」、と(辰野隆・鈴木信太郎訳)。
シラノの帽子の羽根飾は、彼の気高い「心意気」のシンボルだった。そう言えば確かに、葉室の描く男たちは、シラノと同じような「羽根飾」を持っている。そして、それを美しいと評価する女たちがいる。
『いのちなりけり』は、雨宮蔵人と咲弥夫婦の物語である。蔵人は、「天地に仕える」という覚悟を「羽根飾」としている。藩主ではなく、天地を主人としているのだ。だが蔵人は、桜の花の精のように美しい咲弥と結婚した夜に、「これこそご自身の心だと思われる和歌を見つけるまでは寝所を共にしない」と言われた。男の「羽根飾」は、誰に献身するためにあるのか、と問われたのだ。
蔵人が17年の歳月をかけて、遂に見つけた心意気は、「春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことはいのちなりけり」という古歌だった。桜の花は毎年花開くが、この春に巡り合った桜は、今だけのものである。この一瞬を命に替えてもよい、この花の美しさを守るためには命を差し出してもよい……。
蔵人は、自分が「天地に仕える」のは、愛する人の命を輝かせるためだと知った。そして、自らも純粋な「命」に化身し、強い弓から放たれた一本の矢のごとく、行動する。葉室麟には、男のロマンがある。ロマンは情緒ではなく、行動と変革に直結している。
この『いのちなりけり』の続篇が、『花や散るらん』。忠臣蔵に、新たな光を当てている。京都と江戸、文と武、雅と俗。二つの世界の対立が激しく火花を散らし、忠臣蔵の悲劇が起きた。蔵人と咲弥が、慈しんでいる養女の香也は、何と吉良上野介の孫娘だった。討ち入りで上野介が討たれた直後、白い花のような雪が降ってくる。蔵人は「命の花が散っているのだ」と、香也につぶやく。
この美しいラストシーンで葉室は、タイトルの由来である「いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東の花や散るらん」という古歌の言葉を、空から降らせている。忠臣蔵とさまざまな立場で関わり、各自の誇りとする「羽根飾」を高らかに掲げて死んでいった者たち、すべてへのレクイエムを、葉室麟は万斛の涙を注ぎつつ奏でているのだ。
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