ラブホテルの経営者には、石川県からでてきた人が多いという。すくなくとも、大阪では、そういう傾向が読みとれるらしい。
大阪の風呂屋、東京流に言えば銭湯をいとなむ者は、たいてい石川県出身者であった。その風呂屋が、つれこみ用の旅館へ転業し、今日のラブホテルにいたっている。そのため、今でも、経営者には石川県から大阪へうつってきた人々が、大勢をしめることになる。
東京でも、銭湯経営者の大半は元石川県人である。さぐってみれば、やはりラブホテルのオーナーも、その多くは銭湯からの転業者。石川県人が多いということに、なるのではなかろうか。
石川県とラブホテルのこういうつながりを、私はこの本ではじめて知った。おそわって、なるほどと、得心する。そうか、あの手のホテルは風呂屋がささえていたのかと、あらためて感じいったしだいである。
周知のように、戦後のつれこみ宿は、温泉マークとよばれていた。地図の温泉記号を、看板にかかげていたからである。著者は言及していないが、これも風呂屋の延長線上へ位置づければ、納得しうる。
ラブホテルには、屋上へ自由の女神像をあしらったものがある。
じつは、そのルーツも、風呂屋にある。大阪の源ケ橋温泉浴場が、正面に一対の女神像をおいた。一九三〇年代のことで、それが最初である。客に入浴をさせる営業なので、ニューヨークの女神を設置する。入浴とニューヨークの語呂あわせから、自由の女神像はもうけられた。
風呂屋のはじめたそんな飾りつけが、どうしてのちのラブホテルへ飛火したのか。ながらく考えあぐねていたが、この本で解決の糸口をおそわった。入浴=ニューヨークの語呂あわせは、風呂屋からラブホテルへ継承されたのかもしれない、と。
とはいえ、その裏はまだとれない。私がこの本を読んで思いついたというにとどまる。ただ、私はこの本で、いろいろ発想をふくらませることができた。ありがたい一冊であったと、そう思う。
話をもどすが、ラブホテルの経営者が石川県出身者に多いことは、あまり知られていなかったろう。なんとなく、あぶない組織の営業だろうと思われていたような気がする。あるいは、台湾系、韓国系あたりの人々がかかわっていると思いこんでいた人も、多かろう。