登場人物は何という名前で、職業は何であるのか。テレビドラマの作者は多くの場合、会話のなかで視聴者にそれを分からせなくてはならない。制服の巡査や白衣をまとった医師のように、一目瞭然の職種ばかりではないから、当然、そうなるのだろう。さりとて、分からせればよい、というものでもないらしい。
「おや。横町の鮨屋の金さん、景気はどうだい?」
映画『浮雲』(成瀬巳喜男監督)やテレビの大河ドラマ『竜馬がゆく』(NHK)などで知られる脚本家の水木洋子さんは『シナリオのセリフ』と題する文章のなかで、この会話を最悪の一例として引いている。シナリオ作家協会編・刊『水木洋子 人とシナリオ』より。
名前に職業、さらには住居まで、たしかに分かりはするが、日常、誰かに道で出会ったとき、人は「おや。横町の鮨屋の金さん……」とは呼びかけない。これでは人間が死んでしまうと、水木さんは言う。ならば、どういう形で語らせるのがいいか。
「よう、金さん、鮨のほうはどうだい、景気は……」
なるほど、これならば不自然なところはない。プロの脚本家にとってはイロハのイに属する技術だろうが、何気ないひと言にも神経を削る執筆の舞台裏を垣間見て、感じ入ったおぼえがある。
テレビドラマにはどれも、脚本家が神経を削り、ときに胃の壁を溶かし、あるいは髪をかきむしって編み出した言葉の宝石がちりばめられている。
その割に、命は短い。映画のようにビデオやDVDに姿を変えて生きながらえる例はごく幸運なドラマに限られ、ほとんどは放送とともに消えていく。シナリオ集が刊行されることはあっても、小説のように版を重ねる例は稀にしかない。『枕草子』風に現代版「はかなきもの」を挙げれば「老後の年金、総理の寿命、テレビドラマの言葉」とでもなろうか。
美しく、哀しく、おかしく、せつない。ほうっておけば朝露のように消えてなくなる言葉の宝石に、息を吹きかけて柔らかい布で磨き、自分だけの宝石箱に並べてみたい。思い立ち、手当たり次第にシナリオ集を読みだして、もう何年にもなる。そのうちにコレクター一般の常で、自分ひとりで秘蔵しているのが惜しくなり、このたび文春新書から『名セリフどろぼう』として世に出していただくことになった。
所蔵の宝石をひとつ、山田太一氏の脚本によるNHKドラマ『男たちの旅路』(日本放送出版協会刊『男たちの旅路 傑作選』)から紹介する。