2014.04.03 書評

『河北新報のいちばん長い日』解説

文: 後藤 正治 (ノンフィクション作家)

『河北新報のいちばん長い日』 (河北新報社 著)

 二〇一一年三月十一日に勃発した東日本大震災にさいして、地元紙・河北新報が、震災にいかに対応し、何をどう伝えたか……を克明に記すドキュメントである。

 河北新報は、宮城・仙台を本拠に、東北各県をエリアとするブロック紙である。震災で本社の建物は持ちこたえたが、沿岸部にある支局や販売店は軒並み被災した。販売店でいえば、店主が死亡した店が三店、全壊が十九店舗。配達員など従業員で亡くなった人が宮城県内で十五人、行方不明者九人と、すさまじい数に達している。新聞社は文字通りの被災者でもあった。

 自家発電によって本社ビルの電力は維持されたが、組版サーバーは使えず、水、食料、ガソリン、刷り紙……が窮乏するなか、号外を出し、翌日の朝刊を出し、以降も新聞は途絶えることなく発行され続けた。

 それは、記者、カメラマン、デスクなどの編集部門だけではなく、支局、総務、販売、輸送など新聞社を構成する全部局の総力によって維持されたものだった。社内で急遽つくられた「おにぎり班」も裏方の“兵站”を担った。

 決して休刊にしない──新聞人の熱い思いが、全編を貫く音色として、ひしひしと届いてくる。

 河北新報は一八九七(明治三十)年に創刊されている。明治維新で“賊軍”となり、「白河以北一山百文」と揶揄された東北人の意地と矜持が社名に込められているが、改めてその底力を見るようである。
 

 随所に、個々の新聞人の奮闘ぶりが記されている。

 カツオの水揚げ高日本一を誇る港町、気仙沼の総局長をつとめる菊池道治。入社二十八年目の古参記者だ。停電によってパソコンは使えず、コピー用紙の裏面に手書きで原稿を書いた。

《〈白々と悪夢の夜は明けた。湾内の空を赤々と染めた火柱は消えていたが、太陽の下にその悪夢の景色はやはりあった。……
 美しい景色と水産のまち・気仙沼市は、今まで誰も見たことのない、形容しがたい無惨な姿をさらしていた。
 その景色を見ることができたのは、むしろ幸運だったのかもしれない。 
 震災当日の11日、襲い来る津波に胸までつかり、死にかけた。気仙沼総局に避難してきた人たちに食料をとコンビニに走ったのが失敗だった。
 水は白い波頭を見せ、道沿いにひたひたと迫ってきた。近くのビルの2階ベランダに駆け上がったが、勢いは一向に衰えない。あっという間、5、6メートル流された。フェンスによじ登り、柱にしがみついた。水かさは増す。死を覚悟した。……〉》

 手書き原稿は、本社から総局にたどりついた記者、武田俊郎に手渡された。帰路、武田は原稿を「道中、バッグに入れずにずっと手に持っていた」とある。先輩記者が命を賭して書いた原稿を失ってはならぬ、と思ってである。降版間際に本社に持ち帰られた原稿は十三日付朝刊に載った。

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河北新報のいちばん長い日
河北新報社・著

定価:750円+税 発売日:2014年03月07日

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