2014.07.16 書評

日中の最も厳しかった7年間に

文: 毛 丹青 (神戸国際大学教授)

『恵恵 日中の海を越えた愛』 (恵恵 著 岡崎健太 著 付楠 著/泉京鹿 訳)

 北京サッカー・アジアカップ決勝戦をきっかけにして反日暴動が起きたのは2004年8月のことです。

 その4カ月後のクリスマスに、美しい関西学院大学のキャンパスで、ある日本人の青年と中国からの女子留学生が出会いました。

 笑顔が愛くるしい利発そうなその女性は、詹松惠(ジャンソンフィー)といい、愛称を恵恵(フィーフィー)といいました。彼女は私のいとこでした。

 スポーツマンタイプの引き締まった体をした日本人の青年は、岡崎健太君。関西学院大学を卒業し、その時は、高校の教員をしていました。

 2人はキャンパスに集う大勢のなかから、お互いを見つけだし、そして恋におち、恵恵が大学院を卒業する2005年3月には、中国の両親も訪日し、結納も無事すませたのです。

突然の乳がんに……

 恵恵が自身の乳がんに気付いたのは、約8年に及ぶ日本留学から帰国し、北京の日本企業での就職も決まり、2カ月後に健太君との日本での結婚式を控えていた2005年7月のことでした。

 就職、結婚、日本で学んだことを生かして日中交流に役立つことをしたいという夢……。

 27歳の恵恵は目の前がまっくらになります。

 その可能性を電話で告げた翌日、健太はこれまで一度も訪れたことのなかった北京に、たった1人で文字通り飛んでいきます。

 その日から、2人の、辛く苦しく、けれど明るく楽しい日々が始まりました。恵恵は、残念ながら、健太君や両親などのかいがいしい看護にもかかわらず、長い闘病のうえ、2011年6月にこの世を去りました。

 しかし、2人が北京で暮らすようになった後、乳がんの手術に成功もし、一時的にせよ、病状も安定し、2年遅れではあるものの、2007年9月には関西学院大学チャペルにて結婚式も挙げることができました。2人で一緒に北京でお店を切り盛りしたりもしました。

 私は、北京に生まれ、日本に25歳のときに留学し、以来、中国と日本というふたつの国を愛しながら、互いの理解がどのようにしたら図れるかをずっと考えてきました。

『知日』という雑誌を中国で創刊し、日本のことを紹介するのもその活動のひとつでした。

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恵恵 日中の海を越えた愛
恵恵・著 岡崎健太・著 付楠・著 泉京鹿・訳

定価:1,400円+税 発売日:2014年06月23日

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