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一度は考へておくべきこと

一度は考へておくべきこと

文:福田 逸

『人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義』 (福田恆存、福田逸 著/国民文化研究会 編)


ジャンル : #ノンフィクション

 最後の講演で、恆存はかういふ言ひ方をしてゐる。「われわれとあなた方とは、一つの過去を所有することができる。一つの過去を所有することによって、同じ日本人として生きることができるのです。……(中略)……自然と歴史とが自分を動かして来ている。それを共有することによって、日本の国家というものをみんな所有することができるのです。……(中略)……個人も、過去というものを失ったら人格喪失者になる……。」(一七四頁)

 この「過去」との一体感、「歴史」との交感とでも呼ぶべきものを、戦後生まれの、現代の日本人は、今の若者たちはどう考へるのだらうか。「過去」や「歴史」を自分の外側に置いて自分とは無関係な客体と捉へてしまふのか。自分の生きた過去はすべて自分の中に現存し、親の中に存在した「過去」もまた親と「附合ふ」ことで自分の中に取り込まれて来る、いやいや、親と「附合ふ」ことによつてこそ、自分が存立し得るといふことに、ふと気づくことはないのだらうか。「歴史」は学ぶ対象ではないと恆存は言ふ。身近で言へば敗戦といふ歴史が、バブル経済といふ歴史が、失はれた二十年といはれた過去が、大震災といふ過去の経験が、現在の私達を――様々の事象に苦しめられたか励まされたか、いづれにせよ――それらが現在の私達を育み、また我々の中に様々な遠近と陰影で現在もなほ存在してゐるはずだ。バブルを知らぬ今の学生でも、例へばこの私と「附合ふ」ことで、その時代を手繰り寄せ、我が物にすることは出来るはずだ。今、学生である若者たちは、東日本大震災を知らずに育つ子供たちに、二十年三十年の後に、自分のうちにある、あの瞬間の、あるいはその後数週間の恐怖・緊張・不安といふ経験をそれぞれの形で手渡して行くのではないか。それこそが同じ国家に生れ落ちたといふことであり、一つの共同体を構成するといふことではないのか。

平成26年11月20日

本稿は「解説」の一部抜粋です。全文は本書巻末に収録されています。

人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義
福田恆存、福田逸・著/国民文化研究会・編

定価:本体1,500円+税 発売日:2015年02月09日

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