空気の質量が一瞬にして変わった、かのように思う。気づいたときには、もう遅い。読む者はすでに遭難してしまっている。私はできるだけゆっくりこの本を読んだ。迷い込んだ空間は心地よく、そこから出たくなかったから。
江國香織さんは、人を迷い込ませることに非常に長(た)けている。彼女の書いたものを読むと、その物語の種類や形態によらずに、あっという間に別の世界に連れて行かれてしまう。まるで、舟の上で朝目覚めたら、サバンナの真ん中にたどり着いたかのように。
そして、週刊文春で連載されていたというこのエッセイを読むと、江國さんは迷わせることだけではなく、自身がものすごく遭難上手だということに気づかされる。
寒くて、曇っている冬の日。失明した犬を洗って乾かしてもらうため歩き続ける。目の見えない犬を誘導する江國さんを、工事のために臨時の道に誘導するおじさん。いつまで歩くのか犬は途方に暮れ、ちゃんと帰り着けるのだろうかと人間も不安になる。そうして、ようやく家に帰ってきた。そこで飲みたいと思うのは、「あたたかいジュース」。飲んだことも、見たことさえもないのに拘(かか)わらず。
「あたたかいジュース」はムーミンの本に出てくるものだという。冬眠をしていたムーミンが、ある日一人だけ目をさましてしまう。家の中はふしぎと見慣れないようすで、ドアも窓もこおりついてあかない。はじめて目にする雪と、冬に眠らずに活動する動物たち。ちょっと翳のある彼らは元気づけのために、しばしば「あたたかいジュース」を飲む。静まりかえった台所も、自分だけが起きているという高揚感も、不安も寂しさも温かさも、質量を持って押し寄せてくる。
「よく知っているはずの場所が、実は全く知らない場所でもあった、というのがこの物語の輝やかしい肝(きも)だ」と江國さんは考える。本書の肝もまた、あたたかいジュースによく似ていると私は思う。
だいたいにおいて江國さんは心配性で、不安を抱え、怯えている。お正月はきちんとしなければならないという強迫観念に焦り、買い物に行けば楽しくしなくてはと思いつめる。物事のやめどきがわからなくなり、豆まきも、もうだめかもしれない恋も続け、果物を腐らせないように心を砕き、お菓子を焼いた匂いにまで閉じこめられる脅威を感じる。機械も運動もせかされるのもみんな苦手。それはおそらく、よく知った場所が、見知らぬ場所に思えるからではないだろうか。