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震災直後、ガン放射線治療を受ける女性にとって、放射能とは、東日本大震災とは?

震災直後、ガン放射線治療を受ける女性にとって、放射能とは、東日本大震災とは?

文:玄侑 宗久 (作家・臨済宗福聚寺住職)

『光線』 (村田喜代子 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

 これ以後、「夕暮れの菜の花の真ん中」「山の人生」「楽園」と続く三作は、そこまでと比べると安心して楽しめた。そこでは、少なくとも大地は盤石で、盤石なままに深みと凄みを増していく。

 タイトルからも分かるように、「夕暮れの菜の花の真ん中」は、なんとも長閑で美しい物語である。法要の後席がこれほど長く濃密に繰り広げられるのも今では珍しいが、その酒席から抜け出した夫婦は、蕪村の句(菜の花や月は東に日は西に)のような雄大な薄明から漆黒へと向かう時間に、平らな高原で密やかだが重大な発見をする。こういう小説は、書いていても楽しいのではないかと思う。切れのよさも丸く感じられ、複雑な味付けもすんなり味わえる。

 発見とは、自分がいる場所が地球の天辺、絶頂点だということだ。人と会う場所も絶頂。別れた場所も絶頂である。

 吾が禅宗でも「地球の天辺で坐禅する」というような言い方をするが、「世界は絶頂だらけ」という見方はそれにも近い。しかし人は、絶頂で出会ったあとに別れ、あとは降りて行かなくてはならない。法要とは、降りていく途中で振り向き、佇むことだろうか。そんな僧侶ならではの感想も浮かぶが、ともかくこの作品で我々は地球の丸みの天辺に運ばれる。地霊の跋扈する時空から解放され、なんとなく安堵するのである。最後に筆者が「じわりと思った」ことについては触れないでおこう。これこそ法要の功徳とも思えるが、ともあれ地霊が死者を包み込む存在であることは間違いなさそうだ。

 

「山の人生」では、前作と違って地平線も月もない山奥の廃屋のような建物に連れ込まれる。それは寒い夜、男たちが芋焼酎を飲みながら語り合う謎めいた話である。『楢山節考』で姥捨ては夙に有名だが、九州山地の真只中の標高千百メートル以上のこの土地には、「爺捨て」の習慣があったという。なるほど本作でも語られるように、同じ老人でも女性の場合は子守や洗濯と、何かと役に立つ。爺のほうが、その点心許ないのは確かなことだ。

 しかし納得しかけると、それは「嘘だ」と言う人も現れ、話は二転三転しつつミステリアスに進む。途中、カメラマンの男が挿入する中国での体験談が面白い。雲南省の奥地の村では、男は六十歳になると集団で村を出る習慣なのだという。しかもその日を、爺たちは「若いときから心待ちにしていた」というのだ。農繁期だけは息子たちが迎えに来るというのもじつにリアルだ。はたしてこの日向の山村では、本当に爺捨てが行なわれていたのか、どうか、ご自身で読み進めつつ考えてみていただきたい。

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文春文庫
光線
村田喜代子

定価:627円(税込)発売日:2015年01月05日

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