何年か前、九州の大名に仕えたある武士の家に伝わった先祖書を拝見する機会があった。その記録は、戦国時代までは人びとが海を渡って朝鮮半島や南方に行き来してきたが、江戸時代になって海を越えた活動が出来なくなったことを苦々しく記していた。静かな町の蔵にひっそりと伝わった記録は、戦国時代に東アジアの海を行き来した日本人の姿と、海を越える自由を奪われた苦悩を語りかけていた。
その町は海に面してはいても国際的な貿易港にはほど遠く、今は小さな船ばかりを係留していた。ここから水平線の向こうへ雄々しくこぎ出していった戦国の人びとの躍動感と、のどかな現代の風景との差に、目まいを感じた。
十六世紀には、東アジアの各地に数多くの日本人町が広がっていた。本書でも語られる山田長政が活躍したタイのアユタヤ、ベトナムのホイアン、カンボジアのプノンペン、フィリピンのマニラなどが代表例であった。戦国の人びとは、わたしたちが思う以上に世界とつながり、海の向こうに飛び出していった。主人公の守隆が海を眺め、水平線の先にあこがれた気持ちは、この時代の人びとの意志であったといえよう。
信長・秀吉・家康が天下統一に突き進んだ戦国・織豊(しょくほう)期は、国家再統一に向けた激動の時代であった。中央国家の力が衰え、外交権があいまいだった戦国時代の日本人は、国境を意識せずに海を渡っていった。海に面した町や村は農地に恵まれなくても、東アジアの海を越えた交易で栄えた。
一方で、国家的な交易規則や保護が不十分なままの国際交易には、大きな問題があった。国内の大名間の戦争では、人取りを広く行っていて、戦争で捕虜になったり捕獲されたりした男女は、国内だけでなく海外へも奴隷として売買された。奴隷は日本から海外へだけではなく、東アジアの人びとが奴隷として日本に売られてもいた。
天下統一が完成し、国家が外交権を掌握し国境が明確化すると、朱印船や出島などを代表として、より秩序だった国際交易の仕組みが整った。しかしそれは必然的に海を越える自由を制約していった。志摩を拠点に戦国時代を代表した水軍の将として知られた九鬼嘉隆・守隆父子の活躍も、信長・秀吉・家康と天下人の支配が確立して行くにつれて、次第に自由さを失っていったのは必然といえよう。
本書によって、嘉隆・守隆父子の目を通じて語られた信長・秀吉・家康の姿は、まことに魅力的である。嘉隆と守隆があたかも潮の流れを読んで航海するように情報を収集・分析して、進路を選択していったのはみごとである。九鬼氏が公家や職人など社会の多様な人びとと接点を持ったようすは、情報に通じた海の領主にふさわしい。
安宅船をはじめとした船の構造や航海術、海戦の記述は綿密である。守隆が経験則や伝統的な人文学だけでなく、天文学をはじめとした理科学への理解を深めていく中で、父嘉隆を越える判断力や洞察力を得ていく過程は、守隆の好奇心旺盛な性格とともに、天下人に一目置かれる海の武将としての守隆の骨格をつくっていった。
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2013.06.07書評 -
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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