――夢枕獏さんの文章と村上さんの絵によるカラー絵物語『陰陽師 首』が刊行されました。『陰陽師瘤取(こぶと)り晴明』に次ぐ第二弾ですが、絵は描きおろしですか。
村上 全部、描きおろしです。大人の絵本ですね。
――判型は四六判の変型ですが、読みやすくていいですね。
村上 洒落た本になりましたよね。四六判の頭を短く切ったところがミソで、無駄の中に美があるってやつです。
――夢枕さんの『陰陽師』シリーズの挿絵は、最初から村上さんですか。
村上 「オール讀物」連載の最初からです。夢枕さんはうまいところに目をつけましたよね。今の若者は、こういう世界が好きですから。心霊現象や占いがブームになったけど、その延長線上にちょうど乗ったんじゃないですかね。彼の作品は文章もくどくどとしてないし、活字離れといわれる若い人たちにも、とっつきやすいんじゃないでしょうか。
――それにしても、村上さんの絵は『陰陽師』にぴったりですね。異形(いぎょう)のものがぞろぞろ登場してくる。
村上 僕はこういう変なものって、好きなんですよ。見たことはないんだけど、鬼だとか天狗だとか、そういう怪しげな連中にすごく興味がある。だけど僕が描くものは、おどろおどろしいものじゃない。それより現代人のほうがよっぽど怖い。人間の面をした怖い鬼がいっぱいいるじゃないですか。
――鬼とか雷とか妖怪というのは本来は恐ろしいはずなんですが、村上さんがお描きになる化け物はどこか可愛らしいんですよね。
村上 僕は、なんか知らないけど、雷が好きなんですよ。あのダイナミックなバリバリという音がスカッとするというかね。怖いけど、プラス強さがある。そういう強いものに対する憧れがあるのかもしれませんね。
――村上さんの展覧会を拝見すると、変哲もない田舎の屋根の上に鬼だか雷だかが坐っていたり、鬱蒼(うっそう)とした木の上にいるのは何だろうと思うと天狗だったりするんですが、どういう発想からこういう絵をお描きになるんですか。
村上 人間には計り知れない世界があるはずなんです。実際はそこにいるのに、見えていないとかね。そういう想像から始まってるんじゃないかな。
――どこか懐かしい感じもあります。
村上 僕の母方の実家が農家だったものですから、農繁期になると、休みに手伝いに行かされた。冬、麦踏みをやらされたりね。祖父や祖母と接点があったんです。おばあちゃんから、狐に騙(だま)された話を聞かされたり……。
――そういえば村上さんの絵には、擬人化された動物も非常に多く登場しますね。「狐の嫁入り」とか。
ところで、この『陰陽師』のカラー絵物語は題字も村上さんの字です。村上さんの毛筆文字は装幀に使われることも多いんですが、習字は得意だったんですか。
村上 いやいや、小学校と中学校でやっただけで、ちゃんとはやってません。ただ僕の場合は、文字というより、わかる字を書いてるというか、書じゃなくて絵なんですよね。文字というのは上手に書こうと思うと難しくなっちゃう。あんまり上手に書こうとしないで、むしろ絵だと思って書いたほうが、面白い字が書けるんじゃないですか。
村上 ええ。絵と同じように見てくれるから、面白いといって、字の注文があったりするんですよね。映画の「陰陽師」でも僕の字を使いたいといってきました。
――村上さんは一九六〇年頃から新聞・雑誌の挿絵や本の装幀で活躍されていますが、意外にも初めて画集を出されたのは九九年、つい数年前です。その画集『四季』(講談社)を見るとよくわかるんですが、実にバリエーションが豊富で、墨彩、油彩、水彩、それに岩彩まであります。
村上 岩彩というのは、いわゆる日本画ですね。粉末になってる岩絵の具を膠(にかわ)で溶くため、なかなか色同士が混ざらないんです。油絵だったら、ちょっと赤の中に黄を入れたら橙色になるとかってあるんだけど、日本画の顔料は粒子の細かいやつはともかく、粒子が荒いもの同士や、石だとか草だとか鉱物だとか植物だとか昆虫の粉末だったりと、色によって素材が違うものは混ざりにくい。だから、たとえばこの机の色を出そうと思ったら、この色しかないという一色を探してくるんです。だから日本画は大変なんです。
――日本画で思い出しましたが、村上さんは円山応挙の幽霊みたいな怖いのはいやだっておっしゃってましたね。
村上 ああ、あの幽霊は怖いね。僕は陰々滅々は嫌いなんですよ(笑)。人生に対する考え方も、後退しながらものを考えるというのは嫌いです。
――『陰陽師』に出てくる鬼も、どちらかというとラテン系ですものね。人がいいというか、鬼がいいというか。
村上 人生に対するものの考え方も、「あなた、能天気ね」なんて言われるけど、常にいいほうにとる。たとえば占いなんかも嫌いじゃないんだけど、自分の運勢が悪かったときは、パッと関心を持たなくなる。よかったら、あ、よし、と。常にこうです。
――ご都合主義ですね(笑)。
村上 そう、ご都合主義(笑)。
――それと関係があるかどうかわかりませんが、村上さんがお描きになる化け物たちも、みなどこか明るいですね。不気味な顔してるくせに、あんまり怖くない。水木しげるさんの描く妖怪にもそういうところがありますよね。
村上 そうですね。いろんな化け物が出てきますけど、滅々とした感じはないですね。
――情があるというか……。
村上 そう、情があるんです。それは作家の姿勢ですよ。彼は化け物が好きで描いてるんで、怖がっていたら描けませんよね。いつだったか、ある雑誌からお岩さんを描いてくれと言われたんだけど、いきなり描いたらやっぱり怖いですから、四谷の於岩(おいわ)稲荷にお参りに行ったんですが、ここが本家かと思ったら斜め前に元祖があった(笑)。
――それで、どうなさったんですか。
村上 うーん、やっぱり片方だけじゃ祟(たた)りがあるから……。
――想像するに、村上さんがお描きになったお岩さんは、そんなに怖くなかったんじゃないですか。
村上 いやー、そりゃお岩さんだもの、怖くないというわけにいかないでしょう。
村上 それはやっぱり、多少怖いんじゃない(笑)。まあ、応挙ほど怖くはないと思うけどね。それにしても、ああいう絵を飾っている人の神経というのが、僕にはわかんないなあ。本当は僕は、おどろおどろしい、気持ちの悪いお岩なんか描きたくないんですよ。子供の頃だって、気持ちの悪い挿絵が載っている本は触りたくなかったもの。
――子供の頃、夜、怖くて便所に行けなくて、母親に「見てて、見てて」と言ったことを思い出します。
村上 あった、あった。僕なんかも小学校の低学年の頃は、夜は便所に行くのが怖かったものね。
――今でも覚えてるのは、雪国との交歓会。夏は雪国の子供が横浜に来て海水浴をしたりして、冬は横浜の子供が雪国の家に分宿するんです。僕が泊ったのは天井が高くて広い旧家でした。夜、巨大な仏壇のある仏間に一人で寝かされたんですが、雪が降ってるせいか物音ひとつしないんです。寒くて夜中にトイレに行きたくなったんですが、真っ暗だし、怖くて怖くて布団から出ることもできない。一晩中、まんじりともできませんでした。
村上 そういう空間は、今はもう古いお寺ぐらいにしか残ってないのかもしれないけど、昔の日本にはいっぱいあったんですよね。座敷わらしなんてのはそうでしょう。そうしたものに、恐れと同時に親しみも持っていたから、人間の精神が健全だったんですよ。恐れを知らないと、傲慢になるだけでね。いま平気で人を殺す連中というのは、「こいつ、化けてくるかもしれない」なんて思わないんじゃないかな。
――そういえば村上さんは前作の『瘤取り晴明』のあとがきの中で、昔、夜の闇は現代人には想像もつかないほど深く濃かったのだろうか、というようなことをお書きになってます。悪霊や鬼や妖怪が潜み跋扈(ばっこ)するその闇こそ陰陽師が活躍する場であり、不思議で面白い空間だったのだが、現代はその闇がなくなってしまったと。
村上 そうです。そういう闇がなくなった時点で、人間は謙虚さを失ったんじゃないのかな。
――つまり、自分を超えた何物かにいつも見られてるという実感がなくなったということですか。
村上 そうそう。「天知る、地知る、我知る」ですか、そういうことがわからなくなってしまった。テレビを見ていたら、いまは女の子が平気で万引きする。それが悪徳でも何でもなくて、ゲームみたいな感じでやっている。闇がなくなって、あまりにも明るくなりすぎたんです。
――そのくせ、事件が起こるたびに「少年の心の闇」なんて言葉を軽々しく口にします。
村上 難しいことじゃないんです。とにかく神仏があるという心を持つことが大事なんです。それを利用して商売にする宗教家もいるけど、人がみな人間として立派に生きろとは言いませんが、恐れたり敬ったりする、そういう世界があるということが大切じゃないかなと思うんですよね。星明りという言葉があるけど、いまは夜空だって明るすぎちゃって、もう星も見えませんもんね。一度、日本中の電気を全部消してみたら面白いですね。闇に隠れた鬼やなんかが出てくるかもしれない。このあいだニューヨークで大停電があったけど、そのうち日本でも「闇の復讐」があるかもしれません。