レビュー

わが「――者」シリーズの出発点

『毒殺者』 (折原一 著)

文: 折原 一

(最初にことわっておくと、この小説は一九九二年に出した『仮面劇』の改題改訂本である。すでに『仮面劇』をお読みの方でも、著者による直しがかなり入っているので、改めて挑戦してみれば新しい発見があるかもしれない)

 私は小説家になった当初から、現実に起きた事件をモチーフに小説を書きたいと思っていた。事件を最後までそのままなぞり、考察を加えていくノンフィクション風のものではなく、その事件をもとにまったく違ったミステリーに発展させたものである。わかりやすくいえば、犯人が別人だったら、あるいは別の行動をとっていたら事件は違った展開を見せただろうという考え方である。

 私がデビュー当時書いていたのは、密室トリックや叙述トリックを使ったマニア臭の強いミステリーだったが、長く書きつづけていく自信はなかった。そんな時に、日本中を震撼させる大事件が起きた。宮崎勤による連続幼女殺人事件である。あれからすでに二十五年以上たっているが、その時代を生きた者にとっては、いまだに記憶に生々しく残っているだろう。私は不遜にも、この事件を自分のミステリーに使ってみたいと思ったのだ。

 事件は八八年に埼玉県で三件、八九年には東京で一件、合計四人の幼女が犠牲になった。この事件が話題になったのは、犯人が被害者宅に骨入りの段ボールを置いたりするなど被害者感情を逆撫でしたり、犯行声明を出すなど警察やマスコミに対して挑発行為を働いたからだろう。犯人の人物像について警察からマスコミ、さらに広く一般の人間も推理に参加したりしたが、犯人は川で水遊びをしていた幼女にいたずらをしようとしてその父親に捕まえられた。おどおどした色白の若者があの連続殺人事件の犯人とは誰も信じなかった。

 この事件をミステリーにするにはどうしたらいいか、散々智恵をふり絞ったが、事件がさまざまな問題を孕(はら)み、私の力で処理するにはあまりにも大きすぎて、小説に使うことは断念した。

 それから数年後、私はある一つの事件に注目した。事件は一九八六年に起きているが、起訴されたのが一九九一年なので、宮崎事件の後と考える。

 神谷力という男によるトリカブト事件である。神谷がその妻に対してトリカブトのカプセルを飲ませて毒殺したという容疑が浮上し、テレビのワイドショーや週刊誌などで連日、この事件はセンセーショナルに取り上げられた。容疑者は否認したが、状況証拠だけで立件され、裁判になった。判決は無期懲役。

 宮崎勤事件がA級事件(注1)なら、こっちはスキャンダラスで犯人の小物ぶりが際立つB級事件である。しかし、私にとってこの事件はひどく気になるものとなった。もしこの犯人がもっとうまく立ちまわっていたら、被害者は自然死として処理され、事件は発覚せずに終わったのではないか。彼が妻に掛けていた生命保険は一億八千五百万円。額が途方もなく大きいことから、保険会社をはじめ世間の注目を集めすぎた。五千万円くらいにしておけばよかったのに。

 そこから、私のトリカブト事件のプロット練りが始まった。フランス・ミステリーのできそこないのような事件を何とか小説に仕立て上げられないかと考えたのだ。そして、書き上げたのが、この『毒殺者』なのである。第一幕、第二幕、第三幕の三部構成で、それぞれ完結しているが、幕が変わるごとに局面ががらりと変わる。第三幕のタイトル「悪の仮面」は、アメリカのサスペンス作家シャーロット・アームストロングの同名の小説をヒントにしているというと、勘のいい人は……。

 ネタバレになるので、これ以上は書かないが、「夫が妻を殺そうとする話」程度の知識だけで読んだほうが楽しめるかもしれない。

 後年、私は「者」をタイトルに使ったミステリーを書いている。実際に起こった事件にヒントを得て、そこから読者の予想をはずした展開にするものだが、『毒殺者』はその先駆け的な作品だと思っている。

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毒殺者
折原一・著

定価:本体700円+税 発売日:2014年11月07日

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