米原 『シモネッタのデカメロン』すっごく面白かったけど勿体ないよ。四冊分ぐらいのネタをギューッと詰め込んでるんだもん。もっと稀釈して嘘も入れたらいいのに……読者はお得だけど。
田丸 万里の新刊『パンツの面目ふんどしの沽券』は民族学的、人類学的で、私みたいなお手軽なエッセイと違って文献もすごい。私は中身に、あなたは容器にしか興味がないから、パンツ。
米原 ハハハ。二人ともシモネッタだけど分業してるのね。私はスカトロ系で、田丸はエロス系だから競合しないんだ。
田丸 ただ万里はスカトロ学術系ね。私、学術のガの字も全然ないから。
米原 学術系じゃなくて、経験不足を文献で補ってるの。田丸だって、自分のエロス体験不足を棚に上げて他人の話ばかりじゃないの。若き日の自分を語るところは清く貧しく美しくを地で行ってて微笑ましい。
イタリア語会議通訳、翻訳業。広島県生まれ。東京外国語大学イタリア語科卒。著書に「パーネ・アモーレ イタリア語通訳奮闘記」、訳書にレンゾ・ピアノ「航海日誌」(共訳)がある。
田丸 実は書けなかったけど、私の上を通りすぎていった男が大勢いて……(笑)。
米原 いや、絶対にない。私より少ない。
田丸 万里とはシモネタ小話で盛り上がっても、お互い自分の体験談は一切しないものね。秘すれば花。『デカメロン』の境地には到達できない。
米原 でも何でこんなにたくさん色々なネタが集まったの? まさか毎回お客に性生活についてインタビューしてたの?
田丸 向こうから話すの。学生時代から聞かされてる。
米原 ふつう外国人の異性にここまで話すか? 塩野七生さんとか須賀敦子さんにイタリア男がそんな話している図は浮かばないよ。私の妹も三年ほどイタリアで料理修行をしてたんだけど、妹から聞くイタリア人観と、田丸の本から浮かび上がるそれとはかなりずれるんだよね。
田丸 やっぱり私のフェロモンのせいね。
元ロシア語会議通訳、作家。東京都生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒、東京大学大学院露語露文学修士課程修了。著書「不実な美女か貞淑な醜女か」で読売文学賞、「魔女の1ダース」で講談社エッセイ賞、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」で大宅賞、「オリガ・モリソヴナの反語法」でドゥ・マゴ文学賞を受賞。
米原 フェロモンがないからよ、おそらく(笑)。話を聞いてもらう尼さんなのよ。
田丸 寂しい。やる女じゃないの?
米原 やる女にはこんな話はしないよ。
田丸 日常の会話だよ、イタリア人にとっては。万里は『デカメロン』は読んだ?
米原 家の本棚に文庫があって、中学のころ読んだ。艶笑話ばかりで、最初興味津々だったけど、ウンザリしちゃった。
田丸 健康な性欲の塊の男女たちが、恥じらいもなく、明るく堂々と話すの。私、イタリア語に「厭世的」という言葉はないんじゃないかと思うわ。
米原 ところがね、私の妹は、とにかく女がいたらくどかなくてはいけないというイタリア文化の中に身を置くのは、そういうことを人前で表明するのをはしたないとする日本のような文化に身を置くのと同じくらいに辛いものだと言うの。例えば通りの向こう側をすごい美人が歩いていたとする。日本の男なら、通りを渡って声をかけたいのを自制する。イタリア男は、内心どうでもいいと思っていたとしても、通りを横切って声をかけなくてはならない。
田丸 そうでないと男とみなされないと。
米原 そうそう。いつも女に興味があるふりをし続けてなくてはならないのよ。
田丸 私だってあえてシモネタ好きを演じてるのよ。今度の本を出すのも恥ずかしくて、つい、いい年をして、とか思っちゃうのね。
米原 うーん、演じているだけで、ここまでシモネタは集められないよ。
田丸 ボッカッチョはペトラルカと同じ時代じゃない。最高のラテン語使いで、薫り高い文芸作家のペトラルカに、ボッカッチョは心酔しきっていたのね。ところがペトラルカは、君の才能は認めるが『デカメロン』は愚作だと言ったのよ。俗語のイタリア語を使わないで、ラテン語でもっと高尚なものを書きたまえと言われて、ボッカッチョは自分の書いた『デカメロン』の卑俗性を恥じ、ラテン語で学術書を書き始めたけれども、全てが中途半端で、どんどん落ち込んでいった。だから私はあなたの路線を踏襲しないで、卑俗だけど、堂々とふてぶてしくエロスを追求する。路線を変更しちゃいけないのよ。
米原 おっ、ボッカッチョに自分をたとえてしまいますか! それなら、ほら、よがり声が漏れないために寝室の壁をコルク貼りにした社長の話とか、以前田丸が話してくれたもっと赤裸々な話を入れるべきだよ。まあ、次回のお楽しみってとこかな(笑)。
田丸 イタリア男は女を見たらくどくのが礼儀とか言われてたじゃない。ところがEUに組み込まれたせいか、彼らもかなりビジネスライクになったなと思ってたの。先日仕事した社長も、そばで訳す私に一切関心を示さなかったのよ。ところが午後、すごく美人のインタビュアーがきて、「まず来日の目的をお伺いします」と言ったら、「あなたに会うためです」(笑)。「それでは第二の目的は?」「あなたを夕食に誘うことです」(笑)。やっぱり変わってないのよ。女を選び始めただけなの。三〇年経ってやっと黒子の通訳になれたと、喜ぶべきなのかな。
米原 イタリアではセクハラをしないことがセクハラだって書いてるよね。日本だと、「Aさん、今日のスーツ素敵だね、口紅も新しくしたんじゃない?」と言っただけでセクハラになる。BさんにもCさんにも言わないで、美人のAさんにしか言わないから。イタリア男は、美人だろうとブスだろうと、職場の女全員に声をかける。
田丸 だからブスも誤解してブスだという自覚がなくなり、幸せに過ごせる。
――全員をとりあえずくどくにしても、男にも好みがあるわけですし、ちゃんと本命にはサインを出しているんですか。
田丸 好み? いつでも誰とでもできるのが男というものです。好き嫌いを言ってはいけません。女を幸せにするのが男の務めだから。微力ながら務めなくては。
――お仕事みたいじゃないですか(笑)。
米原 妹がイタリアで勤めていたとき、毎朝、男たちに「結婚しようよ」「さもないと僕は身の破滅だ」とか言われ続けて、そのうち言語中枢に達するときには「おはよう」としか聞こえなくなるわけ。イタリア女性は毎日そう言われ慣れてるから、「こんにちは」「やあ」ぐらいにしか聞こえないのよ。
田丸 ところが日本から来た女の子が、その気になって、ほんとに寝ちゃうから、くどいた男も困ってたりするのよ。
米原 挨拶のつもりだったのに。
田丸 いつのまにかベッドにいるぜ。
米原 男にとって誰でも見境なくくどくことはすごく大切なの。光源氏やドン・ファンやカサノヴァがなぜこれほど愛されているかというと、老若美醜に拘らずにあらゆる女性とやったからなのよ。
田丸 つまり功徳を施しているのよね。
米原 そう。狭い自分の好みに縛られていると、愛されないのよ。
田丸 日本人は言葉にしてほめるのが苦手だから。イタリア人の豊富なほめ言葉を訳すのにいつも困る。スプレンディッドも、ファビュラスも、マーベラスも、エクセレントも、すべて「素晴らしい」としか訳せない。書かせると類い希(まれ)なとか、語彙も増えるのに……。
米原 「類い希な美しさ」って、ちょっと声に出しては言えないもんね。冗談や皮肉としか受け取られないだろうし。
田丸 日本人は、平安の昔からくどくのも和歌だったくらい書くのが好き。そのDNAが生きてるから、若い人も話すための携帯をメールの道具にしちゃってる。日本人は口にした言葉のほうに言質(げんち)をとられるという責任の重さを感じるのかもね。イタリアと商売してる知人は、最近日本人秘書ともイタリア語で話すことにしたみたい。二人きりのオフィスで「今日の君は綺麗だね」なんて日本語でいうとセクハラになるけど、イタリア語だとすらすら自然に言える。聞いた方も軽く流せるから、重苦しかった人間関係がスムースになったって。日本語は上下関係に厳しくて、名前で呼び合わないからなかなか親しくなれないのよね。
米原 尊敬語と謙譲語もあるしね。
田丸 挨拶で、「若輩者の私が先輩各位をさしおいて僭越にも……」なんて言われても、先輩、後輩という概念すらないイタリア語には訳せない。
米原 時間があればなるべく忠実に訳してたなあ。日本の文化って面白いなって思ってもらいたいから。ただ、実際はヨーロッパの方が階級社会よね、日本よりも。
田丸 すごい階級社会。トイレもみんな分けてるし、絶対付き合わない。
――くどく時は階級は関係ないんですか。
米原 単に寝る場合は関係ないんでしょうけど、結婚するとなると拘(こだわ)るみたいね。
田丸 結婚は全然別よね。でも、昔は知性があって肩書のある人が好きだったけれど、年とった今は若さにひかれるわね。パーでもいいから(笑)。男も同じだろうなと。
米原 それは田丸自身の話ね。毎日ストレスがあって、根詰めて仕事する人は、相手がパーなほうがいいんじゃない。
田丸 だよね。万里は知性を求めないんだ。
米原 全然求めない。理想は樵(きこり)タイプ。
田丸 手頃なのがいないから、イヌ、ネコに走る。
――人のオスはね、みんな米原さんより知性は低いから。
米原 そんなことないけど。いないのよ、手近に樵タイプが。遠くにいるのは面倒だし。
田丸 それがいけないのね、あとさき考えずに走らなきゃだめね。
米原 本の中で、電車に乗ってて寝たくなる男がいるかどうか品定めする女の話があるじゃない。
田丸 私、考えたこともなかった。
米原 えっ、嘘! 私、いつも考えちゃうわよ。ABCにランク付けして、絶対寝てみたい、寝てもいい、絶対に寝たくないって、三種類に分ける。絶対寝たくないCが九九%強かな。でも田丸は男に甘いからAが二〇%ぐらいでしょ。
田丸 私は男という生き物を愛してるのよ。だから寝る、寝ないとは別に、誰にでもいいところを見つけてあげて存在をそのまま受け入れる。あなたは存在も許さないでしょ(笑)。
米原 そんなことない。寝ないだけであって、別にCでもいいじゃない、面白ければ。
田丸 下半身限定のABC。じゃあ話術とか優しさとか、ほかの付加価値で売っている人は生きていてもいいのね(笑)。
米原 当たり前よ。私の場合、ABCランク付け機能は自動的に働くの。もう考えもしないうちに勝手にカテゴライズしてるのよ。
田丸 私たちが知ってる人でAは誰?
米原 ゾルゲとゲバラ。
田丸はエロス体験の吸取紙?
田丸 イタリア版の三つの悪徳――バッコ(酒)、タバッコ(煙草)、ヴェーネレ(女)。やめられないもの、依存症になるものね。日本語だと「飲む、打つ、買う」。
米原 「買う」ってのが悲しいね。人間同士の関係になれないのね。
田丸 そうなの、日本語はかっこよくくどく話し言葉に乏しいのも原因ね。まず女はほめないと駄目じゃない。日本人ってほめ下手だよね。特に万里なんかほめ下手だよ。
米原 違うのよ、私はほめたときに効果があるように日頃けなしてるの。
田丸 じゃあこの本をほめて、今(笑)。
米原 すごいのは、全て実話というところ。ジャーナリストや作家だったら、相手は警戒して絶対話さないプライバシーをさらけ出している。通訳って存在としては透明じゃない。いないことになっている存在だから、これだけ話せるんだろうなあ。みんな誰かに話したくてたまらないんだけど、誰にでも話せる話題じゃない。あなた、ちょうどいいのよ。セックスの相手だったらここまで話せないもの。
田丸 ムカツク(笑)。
米原 第二に同国人でないから後腐れがない。異国の人だけど、言葉は一〇〇%通じる。身近にいて、一緒に食事をしたり買い物をしたり、とにかく日常生活の面倒を見てくれて、通訳するためなんだけど、自分のことを懸命に理解しようとしている。これほど、身の下話を打ち明けるのに理想的な相手はいないものね。
でもね、私はいろんなロシア人の通訳をしてきて小咄という形で男女の話はタップリ聞かされたけど、自分の体験をこんなに話してくれた人は一人もいない。ところが、田丸は吸取紙みたいに次々にイタリア男たちのエロス体験を聞き出してるんだよね。
田丸 イタリア男は日本の主婦みたいに話好きだもの。
米原 田丸がロシア語の通訳だったら、きっとロシア男たちからも聞き出したんだと思うわ。ホントに不思議で仕方ないの、どうしてここまでいろんな人たちから恥ずかしい話を聞き出せたのか。
最後に注文。イタリア男について日本人が思い描く像を、もっと裏切っても良かったんじゃない。ほら、女漁りばかりしてた男が、半身不随になった奥さんを立ち直らせた話とか、ああいう話がもっと読みたい。それから、田丸自身の貧しい学生時代の話がとても良かった。逆照射するように全体を引き立てていて心打たれた。こういう自伝的な部分はもっともっと書いてほしい。
田丸 あのころみんな貧乏だったもんね。
米原 当時の光景が浮かんでくるんだよね。基本的に生真面目なんだね、田丸は。
田丸 ストイックだからね。万里よりはるかに。
――田丸さんて、根は真面目で、だけど話はくだけて、やんちゃな男も全部受け入れてくれる感じですよね。
田丸 いざ寝るとなるとノウハウはもってないから。パニクる。
米原 でも読者とは、寝なくていいわけだから。
田丸 そういう男性読者にどんどん読んでほしいわ。
米原 いや、これ、女の人も読むと思う。男性のサンプル集だもの。








