「泣ける」「一気読み」というコピーが氾濫する書店で働くうち、いつしか読者としてはわかりづらい小説に魅力を感じるようになった。ひと口では語れず、もやもやと何かが残る作品を、いつまでも胸の中で転がして愉しむ。読書と人生が続いていくような豊かさがある。
『離陸』も、じつに説明しづらい小説である。なにしろ主人公が「わからない」を連発するのだ。
帯を見ると「人生を襲う不意打ちの死と向き合った傑作長篇」、その下の伊坂幸太郎氏の推薦文には「女スパイもの」とある。書店で本を手に取った読者は混乱するかもしれない。一体これはどういう小説なのだ?
でも、ぱらぱらと本をめくってみてほしい。線で囲われた部分があったり点字が見えたりするだろう。これはどういう小説なのだ! 疑問が期待に変わるはずだ。
あらすじを説明していこう。語り手である佐藤弘は国交省のキャリア官僚。矢木沢ダムで働く彼のもとに、雪山の中から大男がやってくる。パリから来たというイルベールは言う。「女優を探してほしい」。その女優とは佐藤がかつて付き合っていた乃緒。フランスで暮らしていたが失踪したという。
混乱し、取り合わなかった佐藤だが、乃緒の面影に引きずられイルベールと連絡を取るように。そして乃緒にブツゾウ(!)という名の息子がおり、イルベールが預かっていることを知る。乃緒のおとぎ話に、佐藤は「水の番人サトーサトー」として登場し、ブツゾウにとっての英雄であることも。
イルベールの手紙にこんな一節がある。
〈私とフェリックスと彼女は、海を背にして三人で歩いて行った。heureuse,malheureuse,heureuse,malheureuseって繰り返しながらね。幸福、不幸、幸福、不幸と繰り返しながら、大学へと続く長い坂を上って行ったんだ。〉イルベールと乃緒、そしてブツゾウの父親であるフェリックスは、かつて同じ大学に通っていた。まだ〈幸福も不幸も何も、全く知らなかった〉若い三人が発した、幸福「heureuse」と不幸「malheureuse」という言葉は作中に何度も出てくる。人々を縛る呪文のように。
やがて佐藤はユネスコ本部への出向を命じられ、パリへ転勤。イルベールから「マダム・アレゴリの記録」と題された古めかしい暗号文書を預かる。最後に貼られた写真には、乃緒の姿が。1930年代に撮られたものという。
じつは佐藤は渡仏直前、乃緒が出演したイスラエル映画を見ていた。その公開は2007年。2007年のパレスチナから1930年代のパリへ。乃緒は時空を越えたのか。
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