葉真中顕インタビュー「日本の戦勝を信じたブラジルの日系移民たち。彼らの姿は、明日の私たちだと思った」

作家の書き出し

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葉真中顕インタビュー「日本の戦勝を信じたブラジルの日系移民たち。彼らの姿は、明日の私たちだと思った」

インタビュー・構成: 瀧井 朝世

アイデンティティの暴力性

――舞台は1934年。12歳の少年、勇とトキオは日本人が作った「殖民地」と呼ばれる農園、弥栄村で出会います。二人のバックグラウンドは全然違いますよね。まず、勇は沖縄で生まれ、飢饉から逃げるように大阪に移り住みます。そして家族と離れて親戚と養子縁組してブラジルにやってくる。

葉真中 勝ち負け抗争は、当時の日本人が抱いていた“大日本帝国臣民”としてのアイデンティティの影響が大きいんです。そのため、主人公二人の生い立ちを通して、そういったアイデンティティがどのように獲得されてきたか、そして、後にそれらがどのように歪められていったかを描いています。

 勇は、大日本帝国下の沖縄で生まれ、大阪では出生地によって差別され、新天地ブラジルへ向かう。彼は日本人として生きたいと願い、それゆえに海外に活路を求めるんです。当時のブラジル移民の中には、家督を継げない農家の次男坊や三男坊、勇のように何らかの差別を受けてきた人など、理不尽な環境で生きてきた人も少なくなかった。自分の現況を肯定しづらいがために、“大日本帝国臣民”であることを自らの拠り所にしていったのかもしれません。そうした、アイデンティティの暴力性みたいなものも描き出せたらと思っていました。

――一方、勇と友情を育んでいくトキオは移民二世です。

葉真中 トキオはブラジル生まれで、日本には行ったこともないのですが、日本人コミュニティの中で育ってきた。「お前の祖国は地球の反対側にある大日本帝国だ」と教育され、彼も大日本帝国臣民としてのアイデンティティを当然のものとして受け入れている。

 当時のブラジルの日本人コミュニティでは、意識的にそういう教育をやっていたんです。戦前の日本移民でブラジルに永住すると思っていた人はほとんどいなくて、みんないずれは日本に帰るつもりだった。作中にも「長くても10年くらいの出稼ぎ」というフレーズが出てきますが、子供が生まれてもいつか日本に帰ることを前提とした教育を施すことが多かったんです。

――「殖民地」での貧富の差も描かれています。貧困な土地での農業に苦労した人もいれば、成功をおさめた人もいる。

葉真中 1908年の第一回移民船から10年くらいの間にやって来た初期移民の人たちは、相当苦労したようですね。だんだん土地の特性が分かってきて、日本政府からの支援も入ったことで、農業で成功する人も出てくるようになったようです。

――弥栄村の中にも格差がありますね。

葉真中 どんな商売もそうですが、うまくいった事例を後から模倣しても、もうそれほどパイが残っていなかったりしますよね。勝ち負け抗争が起きる前から、収入格差をはじめ、分断の種がすでに移民社会の中にいろんな形で潜んでいた。作品の前半ではその部分を丁寧に描くよう心掛けました。

――それぞれの家庭で、何を栽培していたかによっても運命が変わっていくのも面白いですね。

葉真中 日本人はそれまでブラジルにはなかった作物を大量に持ち込んでいるんです。特に薄荷は、湿地が多い地域でも育てやすく、重宝されたそうです。今回はその薄荷が分断の種になるという、実際に起こったことを小説の中に取り入れました。

――勇とトキオは友情を育んでいく一方、柔道の試合や恋愛を介して、ちょっとした嫉妬心や負い目が芽生えたりしますね。二人のすれ違いは、やがて決定的なものとなっていきますが……。

葉真中 最初は二人は本来お互いを高めあっていく健全なライバル関係だったはずなんです。でもそうしたポジティブだった人間関係が、アイデンティティの揺らぎであったり、道徳という名の周囲からの圧であったり、あとは最大の要因として、戦争の影響によって、悪い方向に変容してしまう。そうした、時代の中で生まれてしまった悲しみも表現できたらと思いました。

――ブラジルはたくさんの日本移民を受け入れていたのに、排日運動もあったんですね。

葉真中 当時、ブラジル人にも白人至上主義に近い考え方の人は多かったと聞いています。作中にもちらっと出てきますが、ブラジルの国会議員で優生学を信奉する人なんかもいて、アジア人差別の問題は、もともと根深いものでした。

 それから当時はブラジルでもナショナリズムが台頭していて、移民をブラジル人に無理やり同化させるような政策がとられていたんですね。でも日本人はなかなかそれに馴染めずに、強烈なストレスを感じていた。「勝ち負け抗争」はそうしたフラストレーションが爆発した結果生み落とされたという部分も多分にあったのだとは思います。

自分も「勝ち組」になったかもしれない

――終戦後、大勢の人が日本は勝ったと思い込んだのは、情報網が遮断されていたことも大きかったようですね。

葉真中 当時の移民社会で情報を得る手段は、ビラとラジオと口コミだけでした。特に、口コミのネットワークが強かったようです。日本語を話す日本人だけのコミュニティが作られていたので、ポルトガル語のニュースも入らず、非常に限定された情報の中で生活していた人がほとんどだったんです。

別冊文藝春秋 電子版40号 (2021年11月号)文藝春秋・編

発売日:2021年10月20日