アナザーフェイス×警視庁追跡捜査係
堂場瞬一という謎 当代随一の警察小説の旗手が放つ2大シリーズの初コラボ作品。その魅力に迫る特別対談!
堂場さんの探偵像は、ネオ・ハードボイルドの流れにある
池上大友は悩んでいるのがいい。そして優しさゆえに悩んで苦しんでいる。堂場さんの探偵像は、七〇年代後半以降の、ハンディキャップをもった刑事達を主人公にすえたネオ・ハードボイルドの流れに位置づけられる気がするのですが。
堂場僕はもともとSF少年で、ミステリーにはまりだしたのは二十歳を過ぎてからです。ちょうどその頃、ジェイムズ・クラムリーを初めとするネオ・ハードボイルドがどどっと入ってきた。だからいわゆるハードボイルド御三家が入り口じゃなくて(笑)。
池上御三家のハメット、チャンドラー、ロス・マクドナルドのタフで情け容赦ないクールな探偵に対抗して、ネオ・ハードボイルドはベトナム戦争の後遺症で精神的に傷を負っているとか、妻と離婚しているとか、いわゆる「泣き虫探偵」が描かれていきましたね。暴力嫌いの私生活派、あるいはホモセクシャルな探偵が誕生したのもこの頃です。
堂場ある意味、探偵が「観察者」から「当事者」に変化したんですね。一枚隔てて事件を観察するのではなく、探偵の生き方自体が主題になっていった。自分が意識して海外ミステリーを読み漁った時期に興隆してきたのがネオ・ハードボイルドなので、その影響はすごく大きいと思う。でもそのミステリーの潮流って、乱暴にいってしまえば、ベトナム戦争という共通体験に準じているわけじゃないですか。人の弱さの源となるような共通体験的なものって、現代の日本で何だろうというと、なかなか言えない難しさはあると思います。いまはむしろ、ロス・マクの「リュウ・アーチャー」に立ち戻らなきゃいけないという意識もあるんです。完全な観察者としての探偵像というのをいずれやってみたい。
池上それは難度が高いけれど、すごく挑戦しがいがありますね。ロス・マクの後期、たとえば『ウィチャリー家の女』以降、私生活の描写をほとんど排して、探偵がいわば事件の触媒となる。ドアからドアへと訪ねていって、ゆっくり事件の全貌が見えてくる。おもに小説の冒頭ですが、風景が流れていくようなシーンの淡々とした描写が、素晴らしいでしょう。
堂場日本だったらジャンル分けしたら、純文に入るような作品ですね。
池上「わたし」もしくは「私」の一人称だけど、個性を消して事件だけを語る文体。ロス・マクは比喩過多だけど、堂場さんは違いますね。堂場さんの文体は非常に読みやすい、過不足がなくて大変クレバーなんです。へんな形容詞、修飾語が一切なくて、べたついていない。
堂場新聞記者だったから、ドライなんでしょうね。
池上あざとさが一切なくて端正なのに、人間の情感が伝わってくる。じつはこれって文章で一番難しいことなんです。うますぎてあまり言われないから、堂場文学のもうひとつの魅力として最後に強調しておきたいと思います(笑)。