2008.07.20 書評

浅間の長い稜線を行く孤独な男女

文: 村田 喜代子 (作家)

『草すべり その他の短篇』 (南木佳士 著)

 私たちはともすれば医者をこわいと思う。たった病院で血圧を測るだけでも緊張する。しかしもう医者をこわがらなくてもいい。この本を読むとしみじみとそのことがわかってくる。私たちが怖れているのは医者ではなく、その後ろに控えている病いなのだ。そしてその病いの後ろには、この世に生まれた以上はいつか向かわねばならない死の暗渠(あんきょ)の闇がある。

 場数を踏んだ医者ほど人の死と近い。医大を出たての若者が人間の死をみとらねばならない苦痛に直面する。小説を書き始めたのはその頃からだと、かつて作者はのべていた。しかし、書いた死亡診断書が三百枚を超えた頃から、うつの症状を抱え込むようになる。

 精神を病んでいく医者は弱いのか?激務の中で癌を発病して早逝してゆく同僚の医者。自分が落伍すれば周囲にしわ寄せがいくのである。病院は辞められず、第一線を引きながら三十年間勤務してきた。そうやって人生の折り返し地点の年齢で、独りの医者が山登りを始める。

 なぜ中高年は山をめざすのだろうか。今から十年ほど以前、私もこの小説の舞台の浅間山麓の鬼押し出しの奇観を歩いたことがあるが、ハイカーは中高年、いやもっと老人ばかりだった。それは強烈な印象だった。若者はいない。彼らは都会のビル街で八月の熱気と排気ガスを吸って、背をまるめ顎を突き出し、精気のない植物みたいに蠢(うごめ)いているのではないか。

 主人公は山の息吹に癒されるように、立ち直っていくのである。この男はたぶんそのまま作者に近い人物だろう。どの短編でも男は山を歩く。しかし逞しい山男や昨今の初老の足取りも軽快なハイカーたちと違って、この小説に出てくる男は情けないくらいへっぴり腰なのである。長年の運動不足で足腰は弱く、くわえて生来の高所恐怖症で、その上、五体はそろそろガタがきはじめている。

 山では六十代の女性たちの群にさっさと追い抜かれるし、またあるときは山道で雲海で出会った土地の「おばさん」に、置いて行かれまいと必死であとについて歩くのだ。何というこわがり。浅間山では火口を覗き込もうとして足が震え、目がかすみ、あるいは妙義山の難所の鎖場では、女性たちがどんどん渡って行く後から、したたかに膝を岩角で打ち、ほうほうのていでようやく渡りおおせるのだ。

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草すべり その他の短篇
南木佳士・著

定価:本体571円+税 発売日:2011年09月02日

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