勤務先の病院では職員はインフルエンザの予防接種を半強制的に受けさせられる。彼、彼女たちの健康を慮(おもんぱか)って、というよりも、人と対面する商売ゆえ、医師や看護師がインフルエンザにかかることによって感染を拡大させる媒介者になってしまうのを防ぐ意味が大きい。
この予防接種のおかげでここ四、五年風邪をひかなくなった。それまでは、冬になると必ず一度か二度は高熱をだし、それもたいてい週末で、土曜、日曜を寝て暮らし、かろうじて月曜の勤務を再開する、といったようなことをくり返してきた。気のゆるむ週末に発病していたのは、そのほうがゆっくり休めるので、それなりに合理的なからだの防衛反応だったのかもしれない。
予防接種を受けるのが義務化されたころから、山を歩いたりプールで泳いだり、それまでほとんど使ってこなかったからだを動かすようになった。五十の坂を下りつつ、平均寿命まで生きるとしてもあといくらもないのだな、やり残したことをやっておかねばな、と漠然と考え始め、そういえばからだをないがしろにしてきた半生だったよなあ、との慨嘆に至ったのだ。
トレッキングシューズ、本格的な登山靴。それまで無縁だったこういうもったいぶった道具を身に着けてみると、不思議なもので、からだはおのずから山に向かってしまうのだった。四輪駆動車に乗るとむやみに荒地を走ってみたくなるのとおなじ欲が発動するらしい。
くるぶしまでをしっかり固定する登山靴をはくと、足運びはゆっくりにならざるをえないが、地面をしっかりとらえて確実に左右の体重移動ができるゆえ、ペースさえ乱さなければそれほど疲れずに意外なほど高い山の頂上に立てる。浅間山も八ヶ岳も、みんな靴に登らせていただいた。
保温性の高い下着や軽くて丈夫な雨具、シャツ、歩きやすいズボン、背にぴったりフィットするザック。知らぬ間に驚くべき進歩を遂げていた登山用品にも助けられた。このようなものを身にまとうと、からだが別物になる。特殊な肌触りの下着に首を通した時点から、からだは山登り用のモードに切り替わるのだ。
幼児期より変わらぬ出不精で、山なんて登るやつの気が知れないと芯から思い、これからもこんな偏屈な性格のままで死ぬのだろうと安易にみなしてきた「わたし」が、下着一枚、靴一足でこれほどまでに素直で健康的な「わたし」に変身してしまうとは、自分がいちばん驚いた。ましてや、きちんと水泳なんて習ってこなかった山国育ちがクロールで千メートルを泳げるようになるなんて。
-
在・不在の向こうへ
2013.06.28書評 -
“むずかしくない言葉”が突き刺さる
-
高原のカフェで確かめる人生
2015.03.09インタビュー・対談 -
信州の自然が育む感動的なおいしさ
-
異端の指導者と連敗野球部
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。