2016.04.10 書評

太陽のように幸福で、孤独だった人――清少納言

文: 田辺 聖子

『むかし・あけぼの 小説枕草子』 (田辺聖子 著)

『むかし・あけぼの 小説枕草子(上)』 (田辺聖子 著)

「枕草子」と清少納言は、そのいずれも、こんにちなお、解明されていない謎(なぞ)をたくさん孕(はら)んでいる。それだけにさまざまな想像を働かせる余地があって面白い。

 従来の学術的研究書をよんで痛感するのは、それが男性的見地からの発想に拠(よ)るものが多いことである。私は「枕草子」をよんで、

(ああ、女だなあ。女なればこその、ものの見かた、発想だなあ――)

 という感慨をもつことが多いが、その点に触れるような解説は、今までごく僅(わず)かだった。学問の世界は、それが女手の王朝文学といえども、いままで男性学者で占められることが多かったからであろう。女性に大学の門戸が開放されて、たかだか四十年足らずである。

 しかし最近ようやく、女性的視野に立つ王朝文学研究も、活溌(かっぱつ)になって、われわれ一般人もそれに触発され、アカデミズムの拘束から脱け出て、自由な心持ちで古典に向きあうことができるようになった。

 私は、「枕草子」と清少納言に、自分の脈搏(みゃくはく)がひびきあうのを感じ、かねてから好ましく思っていた。それでこの「むかし・あけぼの」は、「私は『枕草子』をこうよんだ」ということのあかしにほかならない。

 清少納言は今までの男性にとって、多分に感情的に排斥(はいせき)されるタイプの女のようである。

「僅かばかりの才を鼻にかけ、男と対等にわたり合ったことを自慢する」と、それはもう、こっぴどくやっつけられている。それらはその評者の男たちの女性観を、はしなくもあぶり出していて面白い。彼らは、女というものはつつましく謙譲で、男より一歩下った生活態度でいなければならぬという信念で、凝りかたまっているらしい。しかし清少納言の躍動する才気と勝気な性格こそ、自由を希求する人間にとっては太陽のような存在である。清少納言は太陽のように幸福で、孤独であった。しかも彼女は孤独を恐れなかった。湿潤な受難の歴史に隈取(くまど)られること多い、日本女性史の中で、彼女はひとり燦然(さんぜん)と輝いている。才女の末路と指さされやすい晩年の不幸にも、彼女は意気たかく、めげない。

 実際、彼女は幸福な女だったと私は思っている。生涯にかくも熱愛できる対象(女主人の中宮定子)を持ち、人生や自然のよさを味わいつくし、その記憶だけで、一生おつりがくるほどの充足感に恵まれたなんて、何というたのしい人生であろう(もちろんそれは私の想像による清少納言で、そういう人生と違う想像をなさる方もあろうけど)。私は充足の対象を異性関係に限定する考えかたを好まない。現代の人は、あまりに性を肥大化して考えすぎている。人間の充足感は、同性への敬慕、自然と人生への心おどる観察、あるいは創作のよろこび、可能性に挑戦する意欲、それらで燃焼されることも多い。ついでにいうと、そういう充足感にみちた「枕草子」的エッセーの流れは、以後、二度と日本文学史に現れなかった、という気が私にはしている。

 清少納言には「清少納言集」という家集があり、私は清水好子先生にねんごろなご教示を頂いたのであるが、それを使いこなせるまで熟成させることができなかった。この家集にみる清少納言は「枕草子」とまた別の、涙多い恋に身を灼(や)く女である。あるいはこれが彼女の本音かもしれないが、しかし散文派の私にいわせれば、歌は文章より韜晦(とうかい)的である。そう思って歌集の歌をかなり自由に私は使ってしまった。清水先生にお詫びとお礼を申上げたい。

 京都、今熊野の定子中宮・鳥戸野(とりべの)陵に、いま新緑は濃いであろうか。薄命・美貌(びぼう)の皇后の眠り給うこの御陵にぜひお詣りして、私も清少納言にかわらぬあこがれと讃美の念を捧げたいと思いつづけている。

(「あとがき」より)

むかし・あけぼの 小説枕草子(上)
田辺聖子・著

定価:本体900円+税 発売日:2016年04月08日

詳しい内容はこちら

むかし・あけぼの 小説枕草子(下)
田辺聖子・著

定価:本体960円+税 発売日:2016年04月08日

詳しい内容はこちら


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