「ちょいとヨネさん、聞いてよ、ひどいんだから。あたしもう、嫌ンなっちゃった」
待ち合わせをしていた駅のホーム、ベンチにちょこなんと腰掛けていた北原亞以子さんは、挨拶をするいとまも与えずに、こう浴びせてきた。
「へいへい、承りやす。どうなさいました?」
幇間(たいこもち)のようにもみ手をしながら返したが、どうも妙だ。不愉快そうな顔はしているものの、北原さんの瞳は、きらきらと輝いている。
「今朝の新聞の地方版にね、あたしの名前が、千葉県在住の作家として載っていたのよ」
私はきょとんとした。
「あのう、それが何か。実際に千葉県にお住まいですし……」
北原さんは、口惜しそうに身をよじった。
「今はそうだけど、こう見えてもあたし、ちゃきちゃきの江戸っ子なんだから。父は家具職人で、新橋の長屋で産湯を使ったのよ」
「まあ、いいじゃありませんか。新聞に名前が載っただけでも宣伝になるし」
「冗談じゃないわ、むしろ営業妨害よ。こちとら、江戸物書きよ。読者にご朱引(しゅびき/徳川幕府が定めた江戸の範囲)の外の生まれだと思われたりしたら、イメージダウンじゃないの。ようし、あの新聞から原稿の依頼が来ても、絶対に書いてやらないわ。いえ、取材だけだって、金輪際、受けてあげないんだから!」
復讐の手段を楽しげに語る北原さんを見ながら、私は考えていた。
ええと、私も含めて、江戸の生まれではない時代小説作家の立場は、どうなるのだろう。
電車が滑り込んできた。都内から乗ってきた編集者さんたちが、ここです、と手招きをする。これから千葉市にある陶芸家の先生のお宅にうかがって、作陶を楽しむのだ。
編集者が譲った席に腰掛けた北原さんは、喜々として話しはじめた。
「ねえ○×さん、聞いてよ。あたし嫌になっちゃった、ひどいんだから……」
私は笑いをこらえた。なあんだ、新聞記事をネタにして、江戸っ子自慢がしたかっただけなのか。私ははじめてだけど、編集者さんたちは、もう飽きるほど同じ自慢を聞かされているのだろうなあ、お気の毒に。