2015.09.28 書評

観察者の視点で、二・二六事件の新たな側面を描いた一蹶起将校の手記

文: 保阪 正康

『二・二六事件蹶起将校 最後の手記』 (山本又 著/保阪正康 解説)

I 特異なる蹶起将校

『二・二六事件蹶起将校 最後の手記』 (山本又 著/保阪正康 解説)

 二・二六事件の関係者の証言、あるいは各種資料を検証しても、山本又予備少尉の名を見かけることは、決して多くはない。しかもそのほとんどは断片的な記述にすぎない。それは、磯部浅一元陸軍一等主計、村中孝次元大尉、安藤輝三大尉、栗原安秀中尉などとは違い、計画準備段階から事件に深く関わった首謀者ではなかったというのが第一の理由であろう。

 たとえば、数多ある関連書の中でも、この事件を最も多角的かつ深く分析している松本清張著の『二・二六事件』(現在は『昭和史発掘』五~九巻。文春文庫)にしても、ごくわずかに触れているだけだ。山本の人物像について、松本は簡潔に述べている。

「山本又は四十二歳、予備でもあり、若い隊付将校とは考えも分別も違うが、純情素朴である。彼は熱烈な日蓮宗の信者だ」

 この記述には、他の青年将校たちと比較しての、山本の特異な横顔がいみじくも浮きぼりにされている。

 まずは、その年齢である。事件当時、青年将校たちは二十~三十代であり、山本は彼らより十歳ほど年長であった。加えて、首謀者たちの多くは陸軍士官学校出身の隊付将校であり、一兵卒から叩き上げで少尉になった山本とは、軍歴の上でも隔たりが大きい。また、山本は予備役となってからすでに約六年を経ており、事件勃発時には陸軍とは距離を置いた民間人としての生活を営んでいた。ましてや十四歳の長子を筆頭に、四人の子供の父親である。

 それでは山本が、村中や磯部など首魁たちが信奉していた北一輝の周辺に身を置く民間右翼の系譜に列なるのかといえば、決してそうではない。軍法会議の法廷では、北に会ったことはないと言い、「日本改造法案を読みたることありや」と問われると、ひととおり読んだと認めつつ、その内容は「御勅諭の精神とは合はぬ様にも考へられ」と答えて、「良書とは思ひません」と断言している。

 さらにこの事件の中心人物である磯部と親しかったのは事実であるにしても、他の青年将校たちと同様の意味で同志であったかといえば、これまた必ずしもそうだと断言できるわけではない。

 松本清張は、蹶起部隊が鎮圧される直前に山本が山王ホテルから、ただ一人脱出したことにも触れている。山本は脱出後、日蓮宗の総本山である身延山に赴き、事件で犠牲となった人々の供養を行っているのだ。そして、四日後に東京憲兵隊に自首している。こんな人物は蹶起将校のうちで山本だけである。

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二・二六事件蹶起将校 最後の手記
山本又・著/保阪正康・解説

定価:本体680円+税 発売日:2015年09月02日

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