西国の地に居を構え、歴史・時代小説を書き続けた作家がいる。山口県の古川薫、佐賀県の滝口康彦、そして福岡県の白石一郎だ。私生活でも仲が良く、三羽烏ともいわれた彼らには、その他にもちょっと興味深い共通点がある。直木賞の候補になった回数が多いのだ。滝口康彦は六度候補になり、ついに受賞に至らず。白石一郎は八度目の候補の『海狼伝』で受賞。古川薫は、なんと十度目の候補の『漂泊者のアリア』で受賞である。三人の作家が、コンスタントに質の高い作品を書き続けた証左であろう。しかしそれは同時に、苦闘の歳月でもあった。
白石一郎は、一九三一年、朝鮮の釜山府に生まれた。本籍地は長崎県の壱岐郡である。中学生のときに終戦を迎え、日本に引き揚げ、柳川や佐世保で暮らす。早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒。若くから作家を志し、在学中に民放の宣伝用ラジオドラマに投稿した「靴下の穴から」が三席に入選した。卒業後、ゴム会社に職を得たが、半年で退職。佐世保に戻り、後に福岡に引っ越した。一九五五年に、九州時事新聞社の懸賞小説に応募した「臆病武者」が一席入選。同年九月には「小説葦」に「狂った神々」を発表した。
一九五七年、第九回講談倶楽部賞に応募した「みかん」が、最終選考に残り、山岡荘八奨励賞を受ける。その後、第十回講談倶楽部賞を「雑兵」で受賞。これを機に、本格的な作家活動を始める。一九六二年には、出身地の「講談倶楽部」で初長篇の『鷹ノ羽の城』を連載。作家としての地歩を固めていく。
以後、堅実に作品を発表していく作者だが、生活の苦労は多かったようだ。一九六四年には石川球太と組んで、少年忍者を主人公にした時代漫画『犬丸』を「週刊少年マガジン」で連載している。また一九七〇年代には、ラジオ局のパーソナリティーをやったこともある。一九七〇年の第六十三回直木賞の候補に「孤島の騎士」が挙げられるものの、受賞は逸する。ここから直木賞との長き付き合いが始まった。第九十七回直木賞を『海狼伝』で受賞したのは、一九八七年のことである。
どの作品で直木賞を受賞すべきか。人によって、さまざまな意見があろう。だからこれは私見になるが、『海狼伝』での受賞は、大正解だった。運命に導かれるように海賊になった対馬育ちの少年・笛太郎の成長を描いた物語は、日本には稀な海洋冒険時代の収穫として、高い評価を得たのである。