山本兼一のうわさ話を聞いたのは、東京・阿佐谷(杉並区)の商店街にある食肉店でだった。二〇〇九年のことだろうか。
私は阿佐谷の街が大好きで、焼鳥屋も、ワイン・バーも、ジャズ・バーも、散髪店も、阿佐谷へ行く。かつて、おいしい自家製ハムを売っている店があって、ときどき、そこで買い求めていた。ある日、好みのハムを切ってもらっている時に、そこのオヤジさんから、「山本兼一さん、直木賞が決まった日、ここにいらっしゃったんですよ」と突然、話しかけられた。落ち着かない様子で、丁寧に許可を得て、タバコを吸っていたというのだ。
それまで、そのオヤジさんとロクに話したことがなかったので驚いた。賞の贈呈式後のパーティーに招待されて、当時、文芸記者をしていた私を見かけたらしい。目の悪い私は会場に彼がいるのに気づかなかったのだ。改めて編集者の方に尋ねると、京都在住の山本が上京時によく行く寿司店が阿佐谷にあって、そこで吉報を待っていたという。
何でもない話なのに、不思議に印象に残っている。阿佐谷つながりの縁なので、とても親しみのある思い出だ。
山本の温和な表情を思い浮かべる。山本が二〇〇四年に松本清張賞を受賞した時の会見後の囲み取材での姿だ。不躾な質問にも、笑顔で誠実に応えていた。おいしいハムやソーセージを売っていた店はその後、閉店してしまった。山本は二〇一四年に五十七歳という若さで亡くなってしまった。
『利休の茶杓』は「とびきり屋見立て帖」シリーズの四冊目になる。時代は幕末。京都は三条木屋町で古道具店「とびきり屋」を営む真之介・ゆずの夫婦を描いた時代小説の連作だ。とても面白い。何より、この夫婦に感情移入しやすいのが、その理由だろう。
この二人からはどこか、政情を遠巻きに眺めるような大人の態度が伝わってくる。混迷を深める時代の帰趨は誰にもわからない。しかし、熱狂も、付和雷同もせず、冷静に見つめている。投げやりというのではない。前向きに生きているのに、まるで風景を楽しむように状況に接している。京都人のしなやかさとしたたかさが伝わってくるのだ。
京の都は風雲急を告げている。はっきりと時代が回転しそうな雰囲気がある。開国か、攘夷か。公武合体か、倒幕か。
長州藩と幕府が対立を深めている。薩摩をはじめ、時世に敏感な藩は時代をどう動かせばいいか、模索している。新撰組は街を闊歩する。多くの浪士が上京してくる。市中には不穏な空気が漂っている。