2015.07.13 特集

電子書籍で「戦後」を読む 70年の70冊
新しい戦後――昭和50年代

文: 文藝春秋 電子書籍編集部

昭和55年は戦後35年。現在から見れば、戦後の折り返し地点です。高度成長が終わり、どこか倦怠感の漂っていた日本。一方中国では鄧小平が再起、超大国の礎を築きます。3.11を予言していたかのような重大事故がアメリカで起き、今や世界最大の自動車メーカーとなった企業が重要な一歩を踏み出したのもこの時期。“第二の戦後”の始まりです。

昭和50年代のできごと

1975(昭和50)年 ベトナム戦争終結
『サイゴンのいちばん長い日』(近藤紘一)
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1976(昭和51)年 ピンク・レディー、デビュー
『夢を食った男たち 「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代』(阿久悠)
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1977(昭和52)年 鄧小平復活、最高権力者への道へ
『鄧小平秘録(上下)』(伊藤正)
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1978(昭和53)年 大平政権成立
『茜色の空 哲人政治家・大平正芳の生涯』(辻井喬)
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1979(昭和54)年 スリーマイル島原発事故
『恐怖の2時間18分』(柳田邦男)
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1980(昭和55)年 新宿西口バス放火事件
『炎を越えて 新宿西口バス放火事件後三十四年の軌跡』(杉原美津子)
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1981(昭和56)年 千代の富士初優勝
『千代の富士一代』(石井代蔵)
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1982(昭和57)年 浜松基地航空祭墜落事故
『ブルーインパルス 大空を駆けるサムライたち』(武田賴政)
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1983(昭和58)年 トヨタ・GM提携合意
『トヨタ・GM 巨人たちの握手』(佐藤正明)
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1984(昭和59)年 植村直己、マッキンリーで消息を絶つ
『青春を山に賭けて』(植村直己)
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1975(昭和50)年 ベトナム戦争終結

『サイゴンのいちばん長い日』
(近藤紘一 単行本刊行 1975年)

『サイゴンのいちばん長い日』

 1961年に米国大統領に就任したジョン・F・ケネディは、南ベトナムの共産化を防ぐためとして、ベトナム内戦へ介入を始めた。64年のトンキン湾事件を契機に介入は本格化、全面戦争の様相を呈した。米軍は巧みにゲリラ戦を展開する北ベトナム軍に手を焼き、長期戦の泥沼に引きずり込まれていく。パリ和平協定を締結し、米軍がようやく全面撤退を果たしたのは73年、ニクソン政権下でのことだった。

 米軍が去っても内戦は終わらない。北ベトナム軍は南下を続け、ついに南ベトナムの首都サイゴンを陥れた。ときに75年4月30日。

 産経新聞の近藤紘一は、陥落の一月前、特派員としてサイゴンに着任した。すでに目前には北ベトナム軍の戦車が迫っており、南ベトナム政権が消滅する瞬間を目撃した数少ない記者の一人となった。

 本作は、数あるベトナム戦争関連ノンフィクションのなかでも白眉といえる、近藤の代表作である。通奏低音として流れているのは、戦争の国に生きる人間の悲しみとしたたかさをすくい上げる、近藤の優しい視線。86年、45歳で早世した近藤の葬儀で、産経の先輩に当たる司馬遼太郎が弔辞を読んだ。

「君はすぐれた叡智のほかに、なみはずれて量の多い愛というものを、生まれつきのものとして持っておりました」「近藤君、君はジャーナリストとして(略)不世出の人でした」

1976(昭和51)年 ピンク・レディー、デビュー

『夢を食った男たち 「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代』
(阿久悠 単行本刊行 1993年)

『夢を食った男たち 「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代』

 高校の同級生だった根本美鶴代と増田恵子。デュオを結成し、オーディション番組「スター誕生!」に挑み、合格する。

 8月にピンク・レディーの名でデビューするや、「ペッパー警部」がスマッシュヒット。続いて「S・O・S」「ウォンテッド(指名手配)」「UFO」「サウスポー」「透明人間」等々ヒットを連発。3年足らずでシングルを1,000万枚売り上げた。子どもも大人も土居甫考案の振り付けを真似て踊り、歌った。そのブームはまさに社会現象。今に至るも、ピンク・レディーと同じ域に達したアイドルはいない。

「スター誕生!」の審査員として二人を見初めた人物こそ、彼女たちの絶頂期の全シングルを手がけることになる阿久悠だった。

 同番組はピンク・レディーのみならず、山口百恵、桜田淳子、森昌子の“花の中三トリオ”から中森明菜、小泉今日子に至るまで数々のスターを輩出、歌謡曲黄金時代をつくりあげた。その当事者としてムーブメントの中心に座り続け、5度の日本レコード大賞受賞、シングル総売上6,800万枚など空前の業績を挙げた戦後最大の作詞家による同時代ドキュメント。

1977(昭和52)年 鄧小平復活、最高権力者への道へ

『鄧小平秘録(上下)』
(伊藤正 単行本刊行 2008年)

『鄧小平秘録(上)』

 毛沢東、周恩来らとともに抗日戦争、国共内戦を戦い抜き、中国建国の一翼を担った鄧小平。

 1966年、共産党総書記だった鄧は、毛の主導する文化大革命のあおりを受けて指弾され、追放された。周の助けで復活するが、76年、周が亡くなると江青ら四人組の攻撃を受け再び追放。毛の死去、四人組の逮捕を経て翌77年、またもや蘇る。そして華国鋒との権力闘争に勝利し、ついに80年初頭、中国の最高権力者の座に就いた。

 いまや世界第2位の経済大国としてグローバル経済の要となった中国だが、その政治・経済路線は鄧小平が敷いたものに他ならない。鄧は、最高権力者として、いかにして今日につながる道を開いたのか? 中国取材40年のベテラン伊藤氏が、豊富な取材と膨大な史料を駆使して描き切る。貧富の格差など現代中国の矛盾も広がった中国の行く末が注目されるいま、必読の書。

1978(昭和53)年 大平政権成立

『茜色の空 哲人政治家・大平正芳の生涯』
(辻井喬 単行本刊行 2010年)

『茜色の空 哲人政治家・大平正芳の生涯』

 池田勇人の側近として大蔵省から国政へ転じた大平は、外相、通産相、蔵相を歴任。12月、第68代首相に就任した。

 大平は在任中、自民党内の権力闘争に大きなエネルギーを費やさざるを得なかった。1979年衆院選の敗北を受け勃発した福田赳夫ら反主流派との四十日抗争。辛くも勝利を得、第二次政権が発足したものの、余波は続いた。翌年、野党が提出した内閣不信任決議案の採決に反主流派が欠席し、まさかの可決。大平は衆参同日選を決断した(ハプニング解散)。しかし選挙戦さなかの80年6月12日、過労からくる心不全に倒れた。享年70。

 生前「鈍牛」「アーウー」と揶揄されながら、没後30年を経て、戦後政界随一の知性派として評価が高まる大平。人物の評価は「棺を蓋いて事定まる」というが、昭和の政治家の中ではその言葉が最も当てはまる一人といってよいだろう。

 壮絶な“戦死”を遂げた悲劇の宰相の人生を、実業家・堤清二として大平と親交があった辻井喬が愛惜とともに描く。

1979(昭和54)年 スリーマイル島原発事故

『恐怖の2時間18分』
(柳田邦男 単行本刊行 1983年)

『恐怖の2時間18分』

 3月28日午前4時。スリーマイル島原子力発電所(米国ペンシルバニア州)のコントロールルームに突如警報ベルが鳴り響き、警報ランプが点った。ランプの数は見る間に20、30、60……と増えていき、30秒後には137に達した。スリーマイル島原発事故の幕開けである。

 直接の引き金は二次冷却水の主ポンプの故障だった。一次冷却水は除熱されず、加圧器逃がし弁から流出。やがて炉心の上部が露出し、炉内は沸騰状態。ついには燃料棒が崩壊し始める。破滅的事態まであとわずか。

 逃がし弁が開いたままになっていることに作業員の一人が気づき、閉めたのは、2時間18分後のことだった。

 州知事は発電所より5マイル以内に避難命令、10マイル以内に屋内待機勧告を出した。事故の処理には3カ月を要した。国際原子力事象評価尺度レベル5。

 冷却水停止、炉心圧力上昇、燃料棒損傷、避難パニック。この事故は、まさに「今」を予言していた。安全とされた巨大システムは、なぜ崩れたのか? 技術への過信、人間の判断の危うさ、情報の混乱――徹底的な現地取材で構成した緊迫のドキュメント。原発問題を考える上で必読の書。

1980(昭和55)年 新宿西口バス放火事件

『炎を越えて 新宿西口バス放火事件後三十四年の軌跡』
(杉原美津子 単行本刊行 2014年)

『炎を越えて 新宿西口バス放火事件後三十四年の軌跡』

 8月19日午後9時すぎ、新宿駅西口に停車していた路線バスから火の手が上がり、瞬時にバスを包んだ。6人死亡、14人重軽傷の大惨事。38歳の男、Mが火のついた新聞紙とガソリンの入ったバケツを車内に投げ込んだのだ。

 翌日の讀賣新聞一面に掲載された、炎上するバスを捉えた写真。現場に居合わせたカメラマン石井義治氏が撮ったものだが、偶然にも氏の妹、美津子が事件の被害者となっていた。全身80%の大火傷を負ったものの辛うじて生還した美津子。兄の撮った写真が兄妹の仲に陰を落とす。いつまでも「被害者」として過剰に接する母からの自立。不倫相手との結婚、死別。

 一方で美津子は、加害者Mの不幸な生い立ちを知るにつれ、「自分もまた彼を加害者に追いやった側の一人ではないか」と考え、刑務所で面会、文通し、赦そうと試みる。それで自分も被害者の冠を外し、歩み出せるのではないか――しかしそれもMの獄中自殺によって絶たれる。

 自分の人生とは何だったのか。かくも過酷な運命を生き、死ぬことの意味は何なのか。事件当時の輸血がもとでC型肝炎になり、肝臓がんを発症して余命宣告を受けた美津子が、生と死を納得するための思索を綴った魂の手記。2014年死去。享年70。

1981(昭和56)年 千代の富士初優勝

『千代の富士一代』
(石井代蔵 文春文庫刊行 1991年)

『千代の富士一代』

 大相撲初場所千秋楽。初日から14連勝と快進撃を続けていた関脇千代の富士に、13勝1敗で追う最強の横綱、北の湖が立ちはだかった。本割りは北の湖の吊り出しに敗れる。そして優勝決定戦。右四つから伝家の宝刀、上手出し投げ一閃。北の湖はバッタリ両手両膝をついた。千代の富士初優勝。

 千代の富士はこの優勝で大関昇進、そして名古屋場所後には横綱昇進を決めた。“ウルフ”と称される精悍なマスクとボディビルダーのごとき筋骨隆々の上半身。従来の力士像を覆すニューヒーローの誕生に、日本中が“ウルフフィーバー”に沸き立った。以降1991年の引退までに31回の優勝を積み上げ、80年代の大横綱として君臨した。

 東京見物という話につられて九重部屋に入門した秋元貢少年。だがその相撲人生前半は骨折や脱臼のため番付を上ったり下ったり、苦難の連続だった。怪我を克服して稀代の横綱千代の富士となるまでを、千代の山、北の富士という二人の師匠の人生などもからめて描く、相撲小説の名手・石井氏の傑作。

1982(昭和57)年 浜松基地航空祭墜落事故

『ブルーインパルス 大空を駆けるサムライたち』
(武田賴政 単行本刊行 2011年)

『ブルーインパルス 大空を駆けるサムライたち』

 1960年に誕生した航空自衛隊の曲技飛行隊、ブルーインパルス。64年の東京オリンピック開会式で青空に白煙の五輪マークを描き、その名を天下に知らしめた。

 11月14日、浜松基地航空祭でブルーインパルスのT-2機6機による展示飛行がおこなわれた。垂直降下から6方向に散開する「下向き空中開花」を実施中、4番機の引き上げが遅れた。4番機はそのまま地上に激突。パイロットの高島潔1尉は殉職、地上の住民12人が重軽傷を負った。

 この事故を7万人の観衆が目撃したが、航空専門誌の記者として取材に当たっていた武田氏もその一人だった。氏は事故の関係者全員が定年退職した2008年から一気に証言を集め、事故の全容を解き明かすに至る。

 東京五輪の栄光、浜松の悲劇。累計墜落9機、殉職者8名。死と隣り合わせの危険を冒してまで、なぜブルーインパルスは飛び続けるのか? 華麗なアクロバット飛行の裏に隠された、パイロットたちの苦難の歴史がここにある。

1983(昭和58)年 トヨタ・GM提携合意

『トヨタ・GM 巨人たちの握手』
(佐藤正明 単行本刊行 1993年)

『トヨタ・GM 巨人たちの握手』

 1982年3月、ニューヨーク。トヨタ自動車工業の豊田英二社長と米ゼネラルモーターズのロジャー・スミス会長が、極秘裏に会談をもった。そこで話し合われたのは、「両社が合弁会社を設立し、米国工場で小型車を生産すること」だった。

 トヨタ社内の慎重論を乗り越え、83年、基本合意が成立。日本最大の自動車メーカーと世界最大の自動車メーカーとの、歴史的な握手だった。翌84年に合弁会社NUMMIが設立され、以降20年以上にわたりトヨタ、シボレーなどの乗用車を送り出すことになる。

 両社の提携交渉をスクープし、82年度の新聞協会賞を受賞したのが、当時日本経済新聞産業部の記者だった佐藤氏である。いまやGMを追い越し、世界最大の自動車メーカーに上り詰めたトヨタ。ローカルメーカーから世界的企業への決定的な転換点は、まさにこのGMとの提携にあったといえよう。「トヨタ一人勝ち」の原点を、誰よりも自動車産業を知る男が鮮やかに描き出す。

1984(昭和59)年 植村直己、マッキンリーで消息を絶つ

『青春を山に賭けて』
(植村直己 単行本刊行 1971年)

『青春を山に賭けて』

 1970年、日本人初のエベレスト登頂。同年、世界初の五大陸最高峰登頂。78年、世界初の単独北極点到達。植村直己は、日本を代表する登山家・冒険家として赫々たる業績を挙げてきた。

 2月12日、世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たしたが、翌日の無線交信を最後に連絡を絶った。今に至るも消息は不明。43歳だった。同年、国民栄誉賞受賞。

 本書は、植村がエベレスト登頂の翌年、30歳のときに出版した手記である。家の手伝いからは逃げ、学校ではイタズラばかりしていた植村少年は、明治大学山岳部で美しい山々と出会う。やがて100ドルを手に日本を脱出し、さまざまな困難を乗り越え、ついに偉業を達成する。野口健氏ら後進に大きな影響を与えた、ケタはずれの世界放浪記。植村直己こそ世紀の冒険野郎だ!


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