2015.07.01 書評

西村賢太さんの孤独のエレガンス

文: 小島 慶子 (エッセイスト・タレント)

『小説にすがりつきたい夜もある』 (西村賢太 著)

 西村さんと私にあまり接点はないように見えるかもしれないが、実はこの随筆集に収録されている『色慾譚――したたる汗』に出てくる入谷の三畳間のアパートにも行ったことがある。書かれているエピソードがそのときのことなのかはわからないが、SMAPの稲垣吾郎さんと私が、西村さんに思い出の場所を案内して頂くという深夜番組の企画でそこを訪れたのだ。その日はとても蒸し暑くて、大勢のスタッフが狭い部屋に入り込んでカメラを構え、間近で照明をたいたものだから、あまり汗をかかない私もさすがに暑さに閉口した。確か、西村さんもハンカチでしきりに汗を拭っていたように思う。そのとき私は、西村さんが部屋に備え付けられている小さな流しで洗顔も放尿もしていたというエピソードに心奪われていたので(流しがそのように使えるとは知らなかった!)、汗のことは気にならなかったのだけれど。

 西村さんの小説を読んだ人は、貫多のアクの強いキャラクターと独特の文体から「強烈」とか「なんかコワい」という印象を持つかもしれない。私も初めて『苦役列車』を読んだときには、貫多の「オナニー、なのかい?」のくだりで強烈な嫌悪とカタルシスを感じてしまい、戸惑った。しかしいくつか作品を読み、とある文芸誌で『やまいだれの歌』の読書体験記を書くに至って、認めざるを得なかった。私の中にも貫多がいる。あのしち面倒くさい、ひねこびた甘ったれ野郎を、やはり私も持て余しているではないかと。おそらく読者の中にはそれぞれに貫多がおり、その何千何万もの小貫多たちは、小説のように正体を晒して生きることができずにいるのだと思う。

 では生身の西村さんは、貫多そのもののつきあいにくい人物かと言ったら、少なくとも何度かテレビ収録で一緒に仕事をしている限りでは、ごく柔和で礼儀正しい男性だ。この随筆集にもそれは表れているけれど、西村さんはエレガントなのだ。そう、エレガント。上品か下品かは、生い立ちや見た目の優美さで決まるわけではない。対象との距離の取り方と、何を自称するかがその人を表すと私はかねて思っている。たとえば、西村さんの藤澤清造への想いがそうだ。

 西村さんの藤澤清造への思い入れは相当なもので、多くの著作で繰り返し詳細にその話を綴っている。『この人あっての私小説――芥川賞受賞の弁』では「未だにどこか淸造の為に小説を書いていると云った、甚だ妙な気分が抜けきらない。誰に認められるより、地下のその人だけに認めて貰いたい一心で書いているようなところがある。」と述べているが、その言葉からは、清造の歿後弟子を自称し、寺から木製の墓標まで預かるという強い思いを持ちながら、清造への私淑はなおも自分の片想いではないかという不安を抱えているのが感じられる。相手は亡くなっているので返事はないわけだし、世の中から忘れられかけていた小説家なのだから「我こそが清造の代弁者である」という言い方でその作品世界を語ることもできるだろう。しかしあくまでも一人の忠実な読者であり続ける西村さんの態度には、弟子というよりも墓守の矜持を見る気がする。最も無防備で無抵抗な姿で埋もれている主を、礼儀知らずの者どもから守る人のひたむきさを感じるのだ。「かの私小説家の墓前にぬかずくことは、私がこの世に在る上での無二の精神的支柱となるものであった。」(『色慾譚――飽食の季節』より)という言葉には、師を祭り上げるのではなく我が身を投じて呼びかける、切実な祈りの姿がある。

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小説にすがりつきたい夜もある
西村賢太・著

定価:本体630円+税 発売日:2015年06月10日

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