著者の初短編集だ。
ふつうなら、こんなところをうろうろしてないですぐに読みなさいというところだがちょっと待ちなさい。あわてずに、今、わたしが書きつつあるこのくだらない文章から読むといいだろう。なぜかというと、心を落ち着ける必要があるからだ。解説というにはレベルの低すぎるこれからわたしが書く文章を読むことで、これから読むことになるこの短編集を着実に自分の物にできる。この短編集を構成する名作群を目にするにはある種の免疫力が求められるが、そのためには、わたしが書くような解説とは名ばかりの駄文を読むことが最良なのだ。何よりも、心を落ち着けること。あわてるとひどく損害を被ることはこの世の中が一〇年ほどをかけて証明してくれているのであり、そのためのワンクッションが、ぜひとも必要であり、それがわたしに求められた役割なのである。
初めてといっても複数の作品を収録しているという意味でなら、すでに何冊か出版してきた。しかし、それらは、短編だけではなく中編を含んでいた。独立した題名を持つ数十ページ程度の作品、ときに数ページの作品も混じるような、一般的に短編集と呼べるものをまとめたのは意外にもこれが彼の二〇年のキャリアの中で初めてのことである。
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著者によれば、二〇〇九年九月刊行の『思想地図』のために「Bitch」(当初は「イッツ・オンリー・ア・ビッチ」)を書き終えたくらいから、短編集にまとめることを想定して、作品を書き出したという。早々に、短編集を前提にして各作品を執筆してきたというわけだ。また、大半が二〇一一年の東日本大震災以降に書かれていることも、本書の性格を大きく規定しているといえるだろう。
全てのタイトルが、英語の楽曲タイトルで統一されていることからも、非常に慎重にこれらの短編が書かれていることがうかがえる。目次だけを見ると、まったく作品の表情がうかがえない。これも計算されたことであり、文学的な情緒は排されている。文学とはこういうものという思い込みを解消し、あらたに独自の契約をタイトルとの間に結んでいるかのようだ。そもそも、著者は初期の『インディヴィジュアル・プロジェクション』の段階から、編集者がタイトルの変更を求めたことに(長すぎると言われていたようだ)対して抵抗してきたという。この目次に並ぶヒット曲の英語タイトルなどは、それまでの著者の活動あっての成果である。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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