- 2014.12.23
- 特集
すれすれとぎりぎり
赤瀬川さんや新解さんのこと(前編)
文:鈴木 眞紀子 (「新明解国語辞典の謎」(「文藝春秋」連載)担当編集者・新解さん友の会会長)
『新解さんの謎』 (赤瀬川原平 著)
ジャンル :
#随筆・エッセイ
平成四年四月、わたしは「週刊文春」編集部から「文藝春秋」編集部に異動してきました。最初の企画会議に出したのが、以前から存じ上げていた赤瀬川原平さんに、三省堂の新明解国語辞典(当時四版)の面白さについて、ご執筆いただく、というものでした。
わたしが最初にお名前を知ったのは、昭和五十六年二月、千葉県立小金高校の二年生の時でした。担任の吉野孝雄先生が、「尾辻克彦」と黒板にお名前を大きくお書きになり、
「今度芥川賞を取ったこの人は、ぼくの知り合いで、ぼくの伯父さんを研究しているの。芥川賞を取ると電話が鳴ってね、花が届いてなんだかもう、大変らしいよ」
と、おっしゃいました。
山伏というあだ名の吉野先生は、宮武外骨の甥で、外骨が亡くなるまで小学二年から四年まで一緒に暮した方です。ご自身も著書『宮武外骨』で、第七回日本ノンフィクション賞を受賞され、この時はクラスみんなで拍手してお祝いしました。電話や花はありません。
先生のお書きになった『宮武外骨』を読んだ時、
「この人は、変だ。すっとぼけている。真剣にふざけている」
と、思いました。吉野先生には、現代国語、古文、漢文などいろいろ教えていただいたのですが、全部忘れてしまいました。申し訳ありません。けれど授業に入る前におっしゃった「尾辻克彦」「宮武外骨」だけが、残りました。ありがたいことです。
翌年八月に、外骨のお墓参りの会「外骨忌」に先生が呼んで下さり、その時初めて赤瀬川さんにお目にかかりました。
えーと、芸術家で、千円札を模写して起訴されて、作家で芥川賞を受賞した人で、そういう人が側にいる時は、一体どうしたらいいのだろう。えーと、えーとと思いながら、
「こんにちは」
と緊張しながら申し上げると、
「こんにちは」
と、赤瀬川さんは松戸の高校生のために言って下さった。
今、手元に「文藝春秋」平成四年七月号があって、掲載されたページを見ています。掲載時のタイトルは編集長の付けた、
「フシギなフシギな辞書の世界」
でした。タイトルと一緒にやはり編集長が付けた、
「路上観察学者、辞書を読み、笑いの森に彷徨す」
というコピーと、新明解国語辞典、赤瀬川さん、そして山道を歩いている人の写真が載っている。これは編集長に、
「赤瀬川さんが考え事をしている写真と、山で道に迷っている人の写真を探してきてよ」
と言われて、わたしが手配しました。記事に載せる写真を探すのも編集部でのわたしの仕事でした。
両手をポケットに入れて遠くを見ている赤瀬川さんは、考え事をしているというよりは夕日を見ているようだし、山で道に迷った人の写真は本当に難しかった。結局、笹の葉を山に取りに来た人、という感じの写真しかありませんでしたので、それを使ってしまいました。ああ、写真で困ったんだなあ、なんていうことも二十年振りで思い出しました。
宮武外骨に思った、
「この人は、変だ。すっとぼけている。真剣にふざけている」
と、いう感じは、前にも知っていたもので、それは新明解国語辞典を使っていれば、自然と伝わってきます。中学二年生の時に、父から誕生日のお祝いに贈られた二版を学校に持って行ったら、クラスの男子に「性交」「陰茎」「恋愛」という項目に赤線を引かれてしまいました。はからずもエロ項目を読んでしまったわけでしたが、わたしが
「あれ?」
と、思ったのは、「白墨」という項目の用例に、
「赤い――」
と、あるのを見つけた時でした。「赤い白墨」。むらむらとおかしい。この人は、変だ。すっとぼけている。真剣にふざけている。辞書にはたくさん字が出ているから、見つからないと思って平気な顔をして、やっているね、あなたは。
ああ、これって、とその時思った。歴史の教科書の口絵に出ていた、どこかのお寺の瓦の写真を思い出させました。それは瓦の裏に、当時の職人が描いた人物の落書の写真でした。その絵を描いた気持ちと、真面目に見える辞書という舞台で、実は自分の言いたいことを自由に発表している気持ちが、よく似ていると思いました。ふーん、隠れているなら探しましょう。そんな気持ちで、中学二年生の時から、新明解国語辞典を読んできました。
最初の企画会議では、とにかく自分の好きな事を、ずーっと好きだった赤瀬川さんにご執筆いただきたいと、ただそれだけで企画を出しました。赤瀬川さんのお書きになったものを読めば、すぐにわかる。この人は、変だ。すっとぼけている。真剣にふざけている。企画が通って本当に良かったです。
目次を見ると、同じ号に載っているのは、「『日本新党』への10の質問」「われ現代の頼朝とならん 10の質問に答える 細川護熙」「IBMはなぜ敗れたか 立石泰則」とか「だから我らは嫌われる 勝新太郎・ビートたけし」「わが巨人軍再建計画 広岡達朗」という記事が並び、その中にちょこんと、「フシギなフシギな辞書の世界 赤瀬川原平」が載っている。よくこの企画が通ったものだ。びっくりする。バントして塁に出た、なんだかそんな感じでした。企画を通してくれた編集長に、感謝しなければバチがあたります。
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