2018.05.15 特集

歴史学者廃業記 歴史喪失の時代

文: 與那覇 潤

『知性は死なない 平成の鬱をこえて』

『知性は死なない 平成の鬱をこえて』(與那覇潤 著)

(初出:Yahoo!ニュース個人内「史論家練習帳」2018年4月6日投稿=契約終了にともない、現在は掲載も終了しています) 

 大学で歴史の教員をしていた際に開設した「史論家練習帳」を、この原稿をもって閉じることにしました。まずは長年更新できなかったことでご心配をおかけした(かもしれない)読者のみなさま、また本稿の掲載にあたって懇切なサポートをいただいたYahoo!ニュース個人のスタッフのみなさまに、ふかくお詫び申し上げます。

 昨秋に、開設時の勤務先を離職しましたので、職業的な意味での「歴史学者」を廃業しているのは自明のことです。それにいたる経緯は、本日刊行となる『知性は死なない 平成の鬱をこえて』(文藝春秋)にまとめたので、ご関心のある方はそちらをご参照いただくとして、最後にこの場をお借りして、より本質的な意味での、私にとっての「歴史」の喪失について記したいと思います。

歴史を語らなくなった識者たち

 歴史学者という肩書で、雑誌に連載を持たせていただいたとき(2012年)、初回の一行目に「歴史というものは、人間の社会にとって、本当に必要なのだろうか」と書きました。当時の職業的に考えると、これは自殺行為なのですが、そのあとも同じ思いがふくらんでゆくだけの数年間だったなと、いまふりかえって思います。

 まだこのウェブサイトを更新していた2014年の春に、総合誌で「安倍総理の「保守」を問う」という企画があり、私もふくめて総勢100名の論者が回答を寄せたことがあります。掲載号が送られてきて驚きました。

 歴史学者もふくめて、圧倒的多数の識者が「保守とはそもそも何か」を語るのです。エドマンド・バークの立場をさすとか、文化や伝統を大切にするとか、極端に流れず中庸を重んずるといった「保守の本質」を紹介したうえで、そういう立派な保守があってほしいですね、と結ぶ。政治哲学者がそのように答えるのは自然ですが、歴史の専門家として知られる人でも、いまはそう答えるものなんだと知って、ふっと意識がとおくなる気持ちがしたのをおぼえています。

 もちろん、そういった本質論(そもそも論)がまちがっているわけではありません。寄稿の依頼としても、「日本は「右傾化」しているのか」と「本来の「保守」とはいかなるものか」のどちらに答えてもよい形式だったので、後者をえらんで回答するのが不誠実だということもない。

 しかし、「正しい保守のあり方」のようなものを、純粋に思想の世界からとりだしてきて、目下の「保守政治」や「右傾化」がその水準に達していない、と批判すればことたりるなら、歴史を参照する必要はなくなります。リバタリアンとコミュニタリアンが両極にくる哲学チャートのようなものを準備して、平面上の「いま、ベストな立ち位置」を探せばすむことであって、過去をふりかえって歴史という「奥行き」をそこにつけくわえることに、さしたる意味はない。

 奥行きということばのニュアンスを、もうすこし具体的にいうと、現時点で私たちがもっている価値観や提示されている選択肢、そういったものの成立事情や背景をしることで見えてくる、相対化の感覚、ということになるでしょうか。どの価値観や選択肢をえらぼうと、歴史の流れにそれらが拘束されていることをしれば、けっして全能感は得られない。そういうわりきれなさ、「過去の影」のようなものですね。

 ひょっとすると私たちは、長らくものごとを「歴史的」に語りすぎてきたのかもしれません。とくに昭和の戦争については多弁をついやしすぎたせいで、たとえば先ほどの雑誌の依頼に「戦争の悲惨さを知っている世代が亡くなっていくことで、いまの日本では右傾化が進んでおり…」といった回答をすると、ベタでダサくみえてしまう。それは避けたいという気分が、有識者のあいだにもあるのかなと思います。


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知性は死なない與那覇 潤

定価:本体1,500円+税発売日:2018年04月06日