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頼朝は「朝廷・幕府体制」を創設した孤高を持する「1180年代内乱史」

頼朝は「朝廷・幕府体制」を創設した孤高を持する「1180年代内乱史」

文:三田 武繁 (東海大学文学部教授)

『新版 頼朝の時代』(河内 祥輔)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

『新版 頼朝の時代』(河内 祥輔)

 その一方で、他の研究者が見落としてきたいくつかの問題にもスポットライトが当てられている。法住寺殿(ほうじゅうじどの)合戦時の北陸宮(ほくりくのみや)の動向を注視し、「皇位継承問題こそが一貫して政治の重要課題であり、政治の主たる動因であ」(前掲『保元の乱・平治の乱』、一七四頁)ることを示唆した箇所や、戦場での死を覚悟する中世の合戦の特徴を指摘した箇所、義仲による京攻めの画期性に注目した箇所、等々、こちらも枚挙に遑(いとま)がない。

 以上から明らかなように、重畳たる山脈の様相を呈する従来の鎌倉幕府成立史研究から本書はひとり距離をおき、孤高を持しているのである。注目すべきは、そこで検討の俎上に載せられている史料が研究者にとっては周知のものばかりだということである。同じ情報に接しながら、何故かくも異なる像を描くことができるのか? ヘイスティングズが常に抱くであろう思いと同様の思いを抱くのは私だけであろうか。河内氏のみをポアロに重ね合わせてしまうもう一つの理由はこの点にある。

 ところで、鎌倉幕府成立の歴史的意義について、河内氏は近年の著書で次のように述べている。

  

 十二世紀末に鎌倉幕府が成立したことは、政治史上の重要な画期である。これ以後の時代を「中世」と呼び、「中世」の政治体制を「朝廷・幕府体制」と呼ぶことにしたい。(前掲『日本中世の朝廷・幕府体制』、一頁)

 

 さらに河内氏は、みずからが名付けた「朝廷・幕府体制」における幕府の(観応擾乱[かんのうのじょうらん]以前の)レーゾンデートルを「朝廷再建運動の主導役になりうる組織」たる点に求めている(同書、四一頁、四九頁など)。

 以上は、日本中世政治史に関する河内氏の学説のエッセンスといってよいように思うが、地方武士が参加する「朝廷再建運動」たる点に「一一八〇年代内乱」の本質があることを示し、冒頭の章の名称を「中世はじまる」、また末尾の章の名称を「朝廷と幕府」とする本書は、荒削りの感が否めない部分を含むものの、河内氏がその学説を初めて世に問うた著作である。そうみてみると、『頼朝の時代』なる書名は意味深長なものに思えてくる。

 劈頭(へきとう)に「源頼朝は一一四七年の生まれである」なる一文を配し、「頼朝は一一九九年正月、五十三歳を一期として、坂東の地に骨を埋めた」なる一文で擱筆する本書は、確かに一個人としての頼朝が生きた時代を叙述の対象としている。しかしながら、河内氏の主張にしたがえば、頼朝によって創設された幕府が「朝廷再建運動の主導役」を果たした時代は観応擾乱まで続く。かくのごとくに考えうるとすれば、「頼朝の時代」は一個人としての頼朝の死をもって幕を閉じるのではなく、一四世紀中葉まで続くとみることもできる。「一一八〇年代内乱」期は、そうした「頼朝の時代」の骨格が固まった時期であり、その歴史的意義はますます重くなる。

 いずれにしても、本書が「灰色の小さな脳細胞」に刺激を与えてくれることは間違いない。とりわけ、河内氏と同様に、歴史的事実の真相や意義の究明をみずからの生の証と考える者は、河内氏の主張に対する立場がいかなるものであっても、先入見に惑わされることなく、「灰色の小さな脳細胞」を駆使したいと思うのではないだろうか。ヘイスティングズ役に甘んじていてはつまらない。


 ※ちくま学芸文庫版に収録された「解説」を再録しました。

文春文庫
新版 頼朝の時代
1180年代内乱史
河内祥輔

定価:1,650円(税込)発売日:2021年12月07日

電子書籍
新版 頼朝の時代
1180年代内乱史
河内祥輔

発売日:2021年12月07日

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