十九世紀、二十八歳の娘が著した『嵐が丘』は、二十世紀を通して読み継がれ、二十一世紀にさらに新訳が出るなど、いつの時代にも魅了される者は尽きない。
読者が魅せられる理由は多々あろうが、ヒースクリフとキャサリンのあいだの、世の常識、良識、倫理を超えた結びつきの激しさこそが、この物語の魅力の最たるものであろう。
桜庭一樹さんの長編『私の男』は、『嵐が丘』の直系、というのが、読了して私がまず感じたことであった。
もちろん、人物の造形も小説の構成も、十九世紀の物語とはまったく異なる。
日本推理作家協会賞を受賞し、直木賞の候補にもなった『赤朽葉家の伝説』で、桜庭一樹は、鳥取の旧家の、昭和初期から戦争を経てバブル期、そうして平成に至る女三代を、独特の想像力を駆使して、シュールに描き抜いた。波乱に富み強靭な力で生きた祖母、母に比して、平成を生きる孫娘は、自分が何ものにもなれないと、感じる。作者と同世代の多くの人が実感していることなのかも知れない。激しく欲する前に与えられ、窮乏はしてはいないのに満ち足りることもない。何ものかでなくても漫然と生きられる、穏やかで便利な平成の世である──もっとも、外の嵐がこれから国を揺るがしそうな気配を、赤朽葉家の祖母万葉さんより年嵩(としかさ)な筆者は感じるのだけれど──。
何ものかになるのが難しい平成の子である『私の男』のヒロイン花に、作者は、物語の力によって、大震災で家族を失った孤児という境遇を与えた。
花が〈私の男〉と呼ぶ淳悟は、ヒースクリフのような荒々しい野生の男ではない。〈ひょろりと痩せて、背ばかり高い〉〈四十歳になるどうしようもない無職〉〈貧乏くさい〉、それでいて、〈落ちぶれ貴族のようにどこか優雅〉でもある。
九歳で孤児となった花は、唯一血のつながりのある、十六歳年上の淳悟に、北の海辺の街で養われてきた。ある事情から二人で東京に出てきてからは、花が派遣社員として細々と稼いでいる。
花もまた、キャサリンのような野放図さは持たない。むしろ、ひっそりと、人目にたたないように過ごしている。
第一章は、二〇〇八年、梅雨時の六月。
会社の同僚との結婚を控えた花に、「けっこん、おめでとう」淳悟はそう言う。淳悟のこの言葉を記すときだけ、作者は〈けっこん〉とわざわざひらがなを用いる。
ひらがなで書くことによって、作者はのっけから、周到に、淳悟の感情を表している。漢字、ひらがな、カタカナ、三種の表現手段を持つ日本語は、きわめて繊細に、書き言葉に感情をこめることができる。
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