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映画批評と小説の間にあるもの

映画批評と小説の間にあるもの

「本の話」編集部

『映画覚書vol.1』 (阿部和重 著)

出典 : #本の話
ジャンル : #随筆・エッセイ

――この本の中には中原昌也氏、蓮實重彦氏との対談も収録されています。特に中原氏との対談はまさに9・11テロの翌日に決行されました。

阿部 なんでずらしてくれなかったのか。

――これは偶然以外の何ものでもなかったわけですが……。9・11がハリウッド映画に与えた影響についてはどのようにお考えですか。

阿部 その影響というのは、実はまだはっきりとした形で出ていないのではないかと僕は思っています。ただ、ビルの倒壊を描く映画は少なくなったかもしれません。

――9・11以降では『ギャング・オブ・ニューヨーク』が興味深かったですね。スコセッシ監督の一種の批判が感じとれるような気がします。

阿部 そうなのですが、あの映画は捉えるのが非常に難しい。9・11の後に発表されて、観てみると、確かに9・11に対する批評なのかもしれないという面はあるわけです。ただ、あの作品が製作されていたのが実は9・11前だったということを念頭において観ると、一体何なのだろうなという不思議な気持ちになってしまう。その辺が僕はちょっと引っかかるわけです。テロリストたちが『ギャング・オブ・ニューヨーク』の企画を知っていたわけでもないし、スコセッシがテロの計画を知ってたわけもない。でも、同時代的なある種の流れが見事につながりすぎてしまったな、と感じるんです。

――本業の小説の方の話も映画とからめて少しおうかがいします。昨年刊行された『シンセミア』の中では盗撮集団の話が出てきて、読者はそのシーンをいわば覗き見ている。さらにその自分を、誰か、もしかしたら著者である阿部さんに見られているような感覚に陥るわけです。これは映画的なカメラの視点を小説にも採りいれているということでしょうか。

阿部 いまおっしゃったことで言えば、その視点というのは、カメラではなく、映写技師の視点なんだと思うんですよ。つまりスクリーン上で展開するイメージがあって、それを観る観客がいる。そしてそれを上から見下ろしている映写技師がいて、スクリーン上のイメージと観客の両方を見ているわけです。この視点は『インディヴィジュアル・プロジェクション』でも一つの主題だったことで、僕はこういう構造をよく小説の中で使っているといえるかもしれません。

――文体に関しては、映画批評と小説でご自分の中で使い分けていますか。

阿部 映画批評で心がけているのは、作品を観ていない人が読んでも何が書いてあるのかがわかる文章でなければならないということです。説明性を重視しているわけで、その影響は小説にも現れていると思います。また僕が映画批評に書いていることは、実は僕の小説の種明かしになっていることが多いはずです。だから『シンセミア』と『映画覚書 vol.1』を一緒に読めば、いろんな面でつながるはずなんです。

――小説を書いている時に映画を観て、「あ、これはやられたな」というようなことを感じることはありますか。

阿部 書き終わったあとに似たような映画が出てきて困ってしまうことはありましたね。『インディヴィジュアル・プロジェクション』のあとの『ファイト・クラブ』はまさにそう。また『シンセミア』では、『ミスティック・リバー』や『ドッグヴィル』なんかがそうですね。何でこんなに似たものが出てきてしまうんだろう、と。

――将来的には、映画を撮りたいという気持ちはありますか。

阿部 歳をとってからでも構わないけど、いずれはという気持ちはもちろん持ち続けています。ただ、自分の脚本や原作でなければというこだわりは全然ありません。小説は小説として自分の中で完結しているわけですから。でも、一方で『ファイト・クラブ』なんかを観てしまうと、何だかな、という複雑な気分にはなりますね(笑)。

映画覚書vol.1
阿部和重・著

定価:本体2,381円+税 発売日:2004年05月26日

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