- 2014.12.27
- インタビュー・対談
凄味を感じるほどの純粋な愛とは
執筆の舞台裏から最新作まで語り尽くしたトークイベント
にご蔵 (イラストレーター)
『伶也と』 (椰月美智子 著)
ジャンル :
#小説
椰月美智子さんの『伶也と』刊行を記念して、渋谷の大盛堂書店で11月15日にトークイベントとサイン会が開催されました。トークイベントでは椰月さんと親交のあるイラストレーターのにご蔵さんとの掛け合いで、作家になったきっかけから作品構想の舞台裏まで幅広いテーマの質問に笑いの絶えないトークで会場を沸かせた椰月さん。会場には熱心なファンがつめかけ、終始和やかな雰囲気で盛り上がりました。当日の様子をお伝えします。
作家になったきっかけは、元カレのひと言
にご蔵 もともと私、北大路公子さんと先に知り合って、北大路さんから椰月さんのことをちょこちょこうかがっていて、Twitterで仲良くさせていただきました。その後こちらの大盛堂の山本さんの計らいでサインをしているところにお邪魔して、それから少しずつ交友を深めていったというところです。私からいろいろと質問をさせていただきますので、赤裸々に答えていただければ。まず、今日はどちらからいらっしゃったんですか?
椰月 神奈川県小田原市です。生まれてからずっと小田原です。一人暮らしには若い頃に憧れたことはあったんですけど、今はもう全然ないですね。みなさんぜひ小田原に引っ越して来てください(笑)。
にご蔵 子ども時代はどんな感じの?
椰月 小学生のときまでは非常に明るい、学級委員をするような感じだったんですけど、中学に入ったとたんに思春期というか反抗期がきて。尾崎豊を聴き始めて、自分の狭い正義の中で「大人は敵だ!」みたいな感じの、あほみたいな暗い娘になりましたね。
にご蔵 小説家になろうと思ったのはいつ頃、どんなきっかけだったんですか?
椰月 20代の終わりの頃に地元に元カレが帰ってくるということで、飲みに行ったんです。そのときにお互いの仕事の愚痴を言い合っていたんですけど、私が何の気なしに「こうなったら小説家にでもなろうかな」と言ったら、その元カレが「みっちゃんならなれるよ!」と言ってくれて。
にご蔵 おー。
椰月 私も天啓のように、「そうか、なれるんだ!」(椰月さん、突然椅子から立ち上がる)みたいな(会場笑)。それから書き始めたんです。
にご蔵 1作目はどんな話を?
椰月 家族の話を。娘を亡くしたお母さんと、その娘と付き合っていた彼氏の話を章ごとに交互に書いていきました。公募ガイドを買って応募したんですけど、どこにも引っ掛からずに……。
にご蔵 じゃあその後もずっと公募に送り続けて書くという感じで?
椰月 いえ、それが翌年に『十二歳』(講談社文庫)を書いて、それでデビューできたんです。
にご蔵 2作目で?
椰月 2作目ですね。
にご蔵 すごいですね。
椰月 大人向けに書いたんですけど、ちょうど公募ガイドの応募が講談社児童文学新人賞しかない時期で、『十二歳』だからちょうどいいや、通じるんじゃないかなと思って出したら、なんと見事、ラッキーなことに。
にご蔵 そのとき何か印象に残ったことはありますか?
椰月 一次審査に通りましたっていう電話が来たときが、今まで生きてきた中で一番嬉しかったですね。そのあと子どもを産んだりもしたんですけど、それよりももっと嬉しい出来事でした(会場笑)。
にご蔵 じゃあその後の人生が何かガラッっと変わったような?
椰月 そうですね。「向こう側に行けたんだ」っていう感覚がすごくあって。小説家になるには、ある種の運のようなものが必要だと思うんですけど、それを飛び越えられた気がしました。あとは自分が向こう側で頑張ればいいんだって感覚になりました。
にご蔵 そのときはまだお勤めされながら書いていたんですよね?
椰月 そうです。介護関係の仕事だったんですけど、介護保険が始まる時期でものすごく忙しかったんです。その合間を縫って、1カ月ちょっとで書いたんです。だから、忙しいほうが書けるんじゃないかと思って。いや、そんなことはないんだけど(笑)。
にご蔵 向こう側に行くための分泌物が何か出ていたんですか?
椰月 そうですね、何か怪しい汁が。
にご蔵 読んでいて、自分の12歳の頃のことがフラッシュバックして思い出されました。
椰月 私も自分の12歳の頃を思い出して書いたので思い入れのある小説です。ちょうど暗黒の中学時代にいくまでの微妙なラインを描き出した、輝かしい最後のところを書いてみたかったのかなとも思います。
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