- 2014.10.07
- 書評
豊富な情報に基づく、的確な判断 中国残留孤児2世の記者が描いた最高権力者
文:伊藤 正 (元産経新聞中国総局長)
『習近平 なぜ暴走するのか』 (矢板明夫 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#政治・経済・ビジネス
矢板明夫氏の単行本『習近平 共産中国最弱の帝王』が刊行されたのは2012年3月だった。それから8カ月後の同年11月、第18回党大会で習近平が現代中国の帝王、つまり共産党トップの総書記に選出された。その直前の9月には、習の政敵だった薄熙来(はく・きらい)政治局員(当時)が失脚、同じ頃、野田佳彦民主党政権(同)が尖閣諸島の国有化を宣言し、それ以降、日中関係は一段と緊張、悪化の一途をたどった。こうした単行本発刊以降の2年半に起こった大きな動きをどう文庫版に反映させるか。しかし著者はほとんど事実の加筆にとどめた。それは単行本への自信の表れだったと思われる。
矢板明夫氏は、2007年以来、産経新聞中国総局(北京)特派員として中国報道の第一線で活動し、事象の深層をえぐる幾多(いくた)のスクープを放ってきたことで知られる。とりわけ中国政治の内情報道には定評があり、単行本では、発足前夜の習近平政権の内実に迫ると同時に、中国に対する見識を披瀝(ひれき)し、第7回樫山純三賞を授与された。その文庫版である本書は、タイトルを改め、習政権の中台統一戦略について新たな章を設けて、詳述した。台湾問題もまた矢板氏の得意分野の一つである。
本書の内容に触れる前に、矢板氏のユニークなバックグラウンドを紹介する。矢板氏はいわゆる中国残留孤児2世である。1936年、郷里の栃木県から北京に渡り、電気関連工場を経営していた祖父は、戦争末期に日本軍に徴用されシベリア抑留中に死亡、後には幼い1男1女が残された。そのうち長男(42年生まれ)は祖父の経営していた工場の元従業員に引き取られ、天津市に移住、中国人として育てられ、長じて中国人女性と結婚、男児2人をもうけた。日中が国交を回復した72年に次男として誕生したのが矢板氏である。
矢板氏の両親の前半生は貧困、抑圧、差別といった毛沢東時代の苦難を象徴するようなものだった。写真技師だった父親は、出自を問題にされて職を失い、銭湯で客の垢(あか)をすり落とす職人になって家族を支えたという。父親は文革終結後、名誉回復、天津市の政治協商会議代表に選ばれた。一家は激動の現代史を何とか生き抜いたのだった。
矢板氏が両親および3歳違いの兄とともに、日本に引き揚げてきたのは88年、天津の中学3年生、15歳の時だった。千葉県下の公立中学に編入になったが、それまで触れたこともなかった日本語の修得に苦労したのは想像に難くない。その後、高校を経て慶応大学文学部に進み、97年に卒業すると、当時難関といわれた松下政経塾に入った(第18期生)。米英日3カ国に留学経験を持つ台湾の名門出身の夫人は政経塾の同期生である。
98年には中国政府のシンクタンク、中国社会科学院日本研究所特別研究員として中国に派遣され、2002年に社会科学院大学院で博士課程を修了した。留学期を含め政経塾時代に、日中関係や中国問題に関する数多くの論文を発表している。
帰国後、産経新聞社に入社したのは、古森義久氏(産経初代中国総局長、現ワシントン駐在)の影響が大きかったという。北京時代、矢板氏は、中国語の翻訳などで古森氏を手伝ううち、記者の仕事に興味を持ったと聞く。産経入社後、地方勤務を経て05年、本社外信部に配属された。私は2000年に古森氏の後任として2代目の総局長に就いたが、07年、産経新聞の長期連載企画『鄧小平秘録』(文春文庫)のサポート役として北京に派遣されてきたのが矢板氏だった。それ以来、私の退職(11年)まで、一緒に仕事をする機会が度々あり、矢板氏の豊富な知識に裏打ちされた取材力に助けられたものだ。
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